膵島細胞移植における胚性幹細胞の利用 :臨床応用への道のり

 

ウィスコンシン大学 ジョン オドリコ

 

膵臓移植は1型糖尿病の良好な血糖コントロールを得るための最も信頼性のある治療法です。この治療法は非常に有効なのですが、脳死ドナーの不足、長期間にわたって免疫抑制剤を服用せねばならないこと、また大がかりな手術を必要とし、当然それには危険性も伴う、などの理由により、どんな人に対しても施せる治療法ではありません。より理想的な治療法は、インスリンを分泌する膵島細胞のみを移植することです。膵島移植はエドモントンのアルバータ大学での成功を皮切りに最近目覚ましく進歩しています。近い将来には膵島移植が糖尿病に対する最も信頼性のある治療法になるかも知れません。しかし、膵島移植で良い結果を得るには、2個以上の膵臓からとりだされた膵島が必要であり、このことはドナー不足の問題に拍車をかけることになります。もし膵臓移植を受けることになっている1型糖尿病患者さんが皆、膵島移植を受けるようになると、移植を受けられる患者さんの数は今よりもさらに減るということになります。

 

したがって、より多くのひとが移植を受けられるためには、脳死ドナーからの膵島や膵臓とは別に、インスリンを分泌する細胞を探しだすことが必要となるでしょう。この点に関しては、遺伝子操作によりインスリンを分泌する細胞を作り出したり、移植しても拒絶されないような動物を作り出し、その動物の膵島を移植するといった研究が進んでいます。どちらの研究も臨床応用には漕ぎ着けていませんし、まだ多くのハードルが残されています。遺伝子治療においては、目的とした遺伝子を取り込んだ細胞が充分得られるか、また遺伝子を取り込んだ細胞が膵島細胞と同じようにインスリンを分泌できるか、といったことが未解決であり、なかなかうまくは行きません。動物の膵島を移植することに関しては、動物に特有の感染症が人にもうつる可能性や、人から人への移植よりも、より強力な拒絶反応が起きるといった問題があり、これも実現は困難です。これらのアプローチが直面している多くのハードルを考慮すれば、インスリン分泌細胞の供給源になり得る他のものを探す必要があるでしょう。胚性幹細胞はインスリン分泌細胞へと変化する可能性を秘めており、膵島細胞にとって代わる供給源として注目されています。胚性幹細胞の特性で最も注目すべき点は、移植に適した特別の細胞を数限りなく作りだせるということです。さらに胚性幹細胞には、遺伝子操作を加えやすいという特性があります。例えば、遺伝子操作により免疫反応や拒絶反応に対して抵抗力のある細胞に変化させることができます。また、胚性幹細胞から成熟分化した細胞は、通常の細胞と同様の働きをすることができます。

 

幹細胞とは?

幹細胞とは、自分自信が分裂して増えることができるとともに、成熟分化した細胞になることもできる細胞のことを言います。胎生の初期にはもちろん幹細胞があるわけですが、成人の身体のなかにも幹細胞はあるのです。例えば、私たちの血液中や皮膚、肝臓、腸管そしておそらく膵臓にも幹細胞があって、必要に応じて死んだ細胞や障害を受けた細胞にとって代わる役目をしています。このいわゆる成人幹細胞は、全く異なったタイプの細胞に成熟できる能力があると言われています。例えば、骨髄幹細胞は、普通なら成熟して赤血球や白血球や血小板になるのですが、ある状況のもとでは、神経細胞に成熟することができます。成人幹細胞は従来考えられていた以上に柔軟性があることがわかってきましたが、胚性幹細胞のようにどのような細胞にでもなれるわけではなく、その種類は限られています。また骨髄幹細胞が成熟して膵島細胞になれるかどうかは全くわかっていません。胚性幹細胞株は胎生初期の胚から得られるのですが、幹細胞そのものは、ほんとうの胚には存在しません。つまり、子宮のなかで胚が成長するにつれ、細胞は休むことなくどんどん成熟していくので、その細胞は、細胞分裂と成熟分化の両方ができるという特性は、胚のなかでは持てないのです。しかし子宮の環境から離れてある条件下で幹細胞を培養すると、成熟分化を一旦、休止させることができ、幹細胞を未熟なままで維持することができます。科学者たちはどのようにしたらこの幹細胞が幹細胞のままで維持できるか、あるいはどうしたら成熟分化を進めることができるのかについて学び始めたところです。またどのようにしたら幹細胞からある特定の細胞をつくることができるかについてもほとんどわかっていません。実際、ある成長因子を加えるだけで、胚性幹細胞はある一種の細胞ではなく、様々な種類の細胞、例えば心筋細胞、皮膚の細胞、筋肉の細胞、血球、そして膵島細胞などに成熟分化することがわかっています。

 

今、どこまで進んでいるか?

まず最初にマウスの胚性幹細胞から様々なタイプの細胞が作りだされました。そして今は人の胚性幹細胞を使って同じようなことがなされています。つい最近になって作り出されるようになったがそう簡単には作り出せない細胞は膵島細胞です。発生学的にみると、血糖値を調節できる機能を備えた膵島細胞は成熟分化した最終段階の細胞と言えます。母親の成熟した膵島細胞が胎児の血糖値を調節してくれるので、胎児の膵島細胞は未熟なままでも大丈夫なのです。これに対して、例えば胎児の血液成分や心臓などは、かなり初期の段階で自ら発達を開始します。実際、多くの哺乳動物では、胎生の後期あるいは新生児期になるまでは、膵島細胞は機能的に未熟なのです。このことは胚性幹細胞を培養して膵島細胞に成熟分化させることが困難であるとういう事実の裏付けになっています。心筋細胞などは胚性幹細胞を培養していると早くから出現するのに対して、膵島細胞はなかなか顔をみせてくれません。科学者たちは、胚性幹細胞をもとに様々なタイプの細胞を作り出してきましたが、複雑な構造をもった組織は簡単には作り出せていません。

現在では、マウスの胚性幹細胞から膵島細胞が作り出すことができています。重要なことに、胚性幹細胞から作られた膵島細胞は糖刺激に反応してインスリンを分泌することができます。しかし、この膵島細胞を糖尿病の動物に移植した場合、長期間正常に働くかどうかはわかっていません。いまのところ人の胚性幹細胞から作り出された細胞にはインスリン遺伝子の発現、インスリン分子の生成、インスリンの分泌がみられていますが、この細胞が正常に働くかどうかはわかっていません。人の胚性幹細胞をうまくあつかって膵島細胞のように糖刺激に応じてインスリンを分泌する細胞になってくれればよいのですが、科学的にみると、臨床応用までにはまだまだ道のりがあります。

 

どの段階で臨床応用を考慮できるか?

 まず最初に人の胚性幹細胞が膵島細胞に成熟分化でき、それが糖の刺激に反応してインスリンを分泌できることを実証せねばなりません。このことはマウスの胚性幹細胞を用いた実験では、すでに実証されています。人とマウスの胚性幹細胞の特性はよく似ているので、マウスで可能なことは人の胚性幹細胞でも可能だろうと期待されています。しかしながら、人の胚性幹細胞が細胞分裂して増殖するのに必要な時間はマウスのそれに比べて約3倍かかりますし、人の細胞の発達はマウスに比べるとゆっくりしたペースですので、膵島を作り出すには、かなり長期間にわたった培養が必要です。

次に、どのような培養条件がある特定の細胞を作り出すのに適しているか、例えば、どうしたら膵島以外の細胞にならずに、膵島になるようにできるかについて詳しく理解する必要があります。培養条件をいろいろ変えて胚性幹細胞から特定の細胞を作り出すよう試みられていますが、実際のところ、様々な特性を持った細胞しか作り出せていません。これでは、移植には利用できません。特定の細胞にのみ誘導できるよう現在も実験が続けられているところです。ある特定の細胞の発達にかかわっている遺伝子に操作を加えるなど、様々な方法が試されています。

最後に、胚性幹細胞から作り出された細胞がうまく働くか、またその細胞を移植することで糖尿病状態を改善させることができるかを動物実験で確認する必要があります。この意味においてサルの胚性幹細胞から作り出された細胞は、臨床応用のための実験材料として重要です。もちろん、安全性を確認することも重要ですし、それはサルを用いた実験で確認が可能でしょう。腫瘍が発生しないかどうか、感染症の危険がないかどうかも調べねばなりません。

動物実験で明らかにされるべきもうひとつの大事な点は、移植された組織が自己免疫反応によって破壊されるかどうかです。これらの問題が解決されて、初めて臨床応用の段階に入ることができます。現在、膵臓移植や膵島移植で使用されている免疫抑制剤が、胚性幹細胞から作り出された細胞を移植する時にも用いられるかも知れません。このことが可能かどうかは別にして、胚性幹細胞から膵島細胞を作り出せれば、すべてとはいかないまでも、多くの1型糖尿病患者はその恩恵を受けられるでしょう。なぜなら、この胚性幹細胞は無限に手に入る可能性があり、臓器不足の問題も解決されるからです。