学校の沿革
1977年
1月12日 学校設立準備委員会発足。
4月15日 シャーブルック小・中学校校舎を借用して「エドモントン地区日本人コミュニティ・スクール」を開校。生徒数30名、教師4名で発足。
9月9日 図書室を開設、貸し出しを開始(蔵書数70余冊)。役員・父母の当番制を開始。
9月30日 コミュニティー・スクール・ニュース第1号発行。
1978年
1月13日 新年会兼子供会(以後、子供会は1980年まで毎年数回、新年会は1983年まで毎年開催)。
5月5日 コミュニティー・スクール後援会年報第1号発行。
6月21日 日本政府及び海外子女教育財団より日本語補習授業校として認可され、教師の謝礼及び教材・図書購入のための助成金をそれぞれ交付される。
9月8日 幼稚科設置。
11月18日 第1回学芸会(子供会での発表、コーラス・寸劇から発展)。
1979年
4月6日 後援会総会で機構改革案が承認され、後援会会長、運営委員長、校長の三職がそれぞれ分割される。
6月22日 生徒の作品集「のばら」第1号発行。
8月5/6日 運営資金作りのため、エドモントン・ヘリテージ・フェスティバルに参加。
9月7日 日本語を話せない子女の為に初歩日本語入門クラス開設。
1980年
6月13日 役員会で新しい学籍簿「学習のあゆみ」の作成決定。
6月21日 コミュニティー・スクール・ピクニック(以後毎年1回開催)。
1981年
4月10日 生徒数減少により幼稚科及び初歩日本語入門クラスを休講。
8月2/3日 ヘリテージ・フェスティバルに今回より日系人クラブと共催で参加することとなる。
1982年
6月5日 第1回AETA(アルバータ・エスニック・ティーチャーズ・アソシエーション)フェスティバルに参加。
6月25日 カルガリー日本語学校主催のキャンプに参加、交歓会。
1983年
3月11日 新入生のための1日入学(以後毎年開催)。
4月8日 幼稚科再開。
7月6日 ユニバーシアード日本代表の体操選手による模範演技と指導。
1984年
9月7日 シャーブルック小・中学校の廃校に伴い、パークアレン小学校へ移転、授業再開。
1985年
4月4日 進級基準の採用、実施。
10月31日 文部省在外日本語補習授業校巡回指導班の来校。
1986年
3月3〜7日 アルバータ州教育週間中、パークアレン校の行事に参加(寿司、折り紙、習字の実演)。
4月11日 校長職が専任となり、学校運営と特別指導にあたる。
5月1日 東京近辺居住の前後援会有志より日本語のワープロを寄贈される。
11月3日 パークアレン校校長より、コミュニティー・スクールの即時移転を要求される。校舎借用契約を取り消し、新しい校舎探しを始める。
11月21日 ウェストブルック小学校での授業開始。
12月12日 後援会臨時総会で、移転問題対策のための会則及び校則改正案が承認され、制定される。
1987年
2月13日 第1回校内弁論大会。
10月17日 コミュニティー・スクール創立十周年記念晩餐会(校章が制定される)。
1988年
4月 校長・教師の新職務規程を採用。事務及び図書係の職務規程を作成。
6月 全生徒の在籍簿作成。
1989年
4月 「入学・編入の手引き」の作成、配布。
7月〜8月 STEP(夏期臨時雇用プログラム)の助成金を交付され、ワープロによる年報作成等を依頼する。
7月29/30日 北米西部地区補習授業校現地採用講師研修会(於サンフランシスコ)に教師4名が参加。以後、毎年研修会に参加。
1990年
1月 総領事公邸において、ウエストブルック校教職員との交流パーティー。
9月7日 諸事情により、校長職が専任から教師兼任となる。
7月28/29日 北米西部地区補習授業校現地採用講師研修会(於エドモントン)に教師全員が参加。
1991年
5月22日 ウエストブルック校において、総領事館主催のジャパン・デーに参加。
5月23日 総領事館の方々を招いて役員との懇親会を行った。
11月2日 アルバータ大学にて、エドモントン総領事館主催によるアルバータ地区日本語弁論大会が行われ、本校より在校生3名と元在校生1名がオープン部門に参加した。
1992年
4月10日 授業料が従来より月額3ドル値上げとなる。
5月9日 父母と教師の合同研修会がEJCA文化センターで行われた。
10月 1992年度年報として「エドモントン地区日本人コミュニティー・スクール第15周年記念号」を発行。
1993年
6月18日 校内にてバザーを開催。
11月20日 NAHLA主催によるナショナル・チャイルド・デーが開催され、本校より6名の生徒が参加。
1994年
1月22日 父母と教師の懇談会が、リンウッド・コミュニティー・ホールで行われ、日本語学校・日本語教育について率直な意見を発表・交換した。
9月24日 EJCA文化会館が完成、開館式に本校児童が参加し、日本の童謡を披露。
1995年
10月6日 入学希望者が規定数に達しなかったため、4月に開けなかった幼稚科クラスが3名の入学児を迎え、再開。
10月27日 「ヘリテージ・フェスティバル参加の是非に関して」の議題で後援会臨時総会が開催され、来年度の参加を決定。
1996年
4月 今年度よりアルバータ州政府の助成金が打ち切られた。
6月7日 アーノルド社の教科書「JAPAN」製作に協力、27名の生徒・卒業生・教師・父母が顔写真のモデルとして撮影に参加。
1997年
3月29日 コンベンション・インにて、本校創立20周年記念祝賀会が、103名の参加者を得て盛大に催された。
6月20日 後援会臨時総会を開催、「入学編入の手引き」及び「校則」の一部を改正した「入学編入及び進級の手引き」が提案され、承認された。
1998年
3月6日 「入学編入及び進級の手引き」の実施の実情と日本語学校の今後について父母懇談会が持たれた。
8月21/23日 アルバータ大学の日本文化・言語・教育センター主催の日本語研修会に、本校より父母・教師からそれぞれ代表が出席。
1999年
1月29日 授業の一環として、書き初めが取り入れられた。
4月 有志により、就学前児童を対象として日本語学校入学準備のためプレイ・スクールが開始された。生徒数の減少と学校規模の縮小を受けて運営委員会を廃止。
8月13/15日 北米西部地区補習授業校現地採用講師研修会がエドモントンで開催された。
2000年
4月 新しく幼稚科年中組が開設された。毎月発行しているコミュニティスクールニュースに英訳版を併記。
11月16/17日 文部省在外日本語補習授業校巡回指導班の来校。
2001年
4月 事務係及び図書係が無給の完全ボランティア制となる。
11月 教育方針が生徒の国語や日本語教育にあっているか、変更や工夫の必要があるか等を見直し、学校の将来を考える目的で、リサーチプロジェクトを始めた。
2002年
8月 月刊「海外子女教育」の海外校シリーズに本校の記事が掲載される
9月 広島県安芸郡熊野町主催の「全国書道展」に、小学校1年生以上の34名が作品を出展した。
11月9/10日 ファンドレイジング活動の一環としてカジノでのボランティワークに後援会会員が中心となって参加。
11月22日 ウェストブルック校より、校舎の使用法についてクレームがあったことを受けて、緊急全校集会を開く。借用校舎使用上の注意を再喚起。
2003年
1月10日 後援会臨時総会を開催。「学校の移転問題」について話し合った。
1月31日 パネルディスカッション「日本語教育への指針」を開催。
6月27日 ウエストブルック校での最後の授業。図書室の本、ビデオ等すべての本校備品をリチャードセコード校に移動。
9月5日 新しい借用校舎リチャードセコード校にて授業開始。
2004年
1月 本校のWeb pageが開設された。
4月8日 入園者数の増加のため、幼稚科年中組を2クラスに分割。
4月 図書係、事務係が有給職に戻る。
2005年
4月
図書室の蔵書、ビデオのコンピューター管理が始まる。
4月 「漢字の達人」プログラム開始。
2006年
4月 コミュニティスクールニュース英訳版を休刊
2007年
3月24日 コミュニティー・スクール創立30周年記念晩餐会
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