エドモントン地区日本人コミュニティスクール

 

2004年度 年報 第28号

目   次

 

あいさつ                   在カルガリー日本国総領事 竹内 好一  1

 

2004年度役員会の活動報告              後援会会長 大沢 誠  2

 

手作りのコミュニティスクール                     校長 大木 早苗   4

 

2004年度会計報告                      会計 マクレーン 由美子  8

 

2004年度コミュニティスクールの歩み   事務係 ダンウォルド節子  9

 

2004年度 日本語学校アンケート調査結果報告          大沢 誠   13

  2004 school year Japanese school survey results

 

エドモントン地区日本人コミュニティスクールのビジョン              23

  

「日本語学校で こんにちは」                フェドロー 美恵子   24

 

日本語教師喜怒哀楽記                                                                  岡本 あや  34  

 

息子と日本語Éそして日本語学校                     ヒル 厚子   35

 

日本に「住む」?!                                      小林 麗   38

 

エドモントンでの3年間                            谷 エレイン   39

 

ダンウオルド家にとっての日本語学校                         ダンウォルド節子   41

    –16年の回想録–

 

Graduating from Japanese Playschool!                              Jocelyn Hudon   43

 

 

表紙  片岡 紫江

編集・校正  大木早苗・フェドロー美恵子

 

 

あいさつ                            

                  在カルガリー日本国総領事 竹内 好一 

 

    カナダの厳しい冬が終わりを迎え、徐々に暖かい春の兆しを感じる今日この頃ですが、その春の息吹と共に新しくエドモントン地区日本人コミュニティスクールに入学された新入生の皆さん並びにご父兄の皆様、この度はご入学おめでとうございます。また新学年を迎えた児童、生徒の皆さん、進級おめでとうございます。28回目の春を迎える貴校を今日まで支えて下さっている大木校長先生を始めとする教職員の皆様、また、大沢会長を始めとする後援会の皆様の学校運営へのご尽力に、心から敬意を表します。

 アルバータ州は、カナダの中でも一番の経済成長率を誇り、将来に向かって発展する大きな可能性を秘めていることから、この不安定な国際情勢の中においても世界から注目を浴びている場所でもあります。州都であるエドモントンで過ごす子供達が、将来、ここで過ごした日々に誇りをもつようになって欲しいと思います。

 昨今、日本の教育現場では悲しいニュースが続いており、本当に嘆かわしく思っておりますが、一方で、日本の教育は、あらゆる面で過渡期を迎えているとも言われています。文部科学省の学習指導要領内で国際化についてうたわれてから早7年が過ぎましたが、今年度より群馬県では教育特区において国際教育を焦点とした英語のイマージョンスクールが開校しました。かねてからの構造改革の一貫である、教育現場での構造改革がようやく実現した一つの例です。

  ここ多文化・多民族のカナダにおいて学習されている児童・生徒の皆さんは、日本ではまだ曙でしかない教育現場での国際化が既に当然という環境の中で日々を過ごされ、更に、先生やご家庭の支えによって、補習授業校において祖国の文化や言葉を大切に受け継いでいくことも学ばれています。心と体の基礎が育まれる大事なこの時期に、様々な考え方や文化を尊重することの大切さを、身をもって学ぶことのできる子供達は、大変恵まれた環境にあると言えるでしょう。将来は日本とカナダの掛け橋に、また世界に羽ばたく真の国際人として活躍してくれることを願っています。

 皆様ご承知のとおり、本年1月に在カルガリー総領事館が開館致しました。エドモントンからお越し頂くには少し時間がかかるかもしれませんが、補習授業校への支援は今までと変わることなく、出来る限りお手伝いして行きたいと考えております。

  エドモントン地区日本人コミュニティスクールの今後一層のご発展を心から祈念しております。


 

 

2003年度役員会の活動報告

    後援会会長 大沢 誠

 

今年度の主な役員活動は例年通り運動会、ヘリテージフェスティバル、学芸会、弁論大会のほか今回2回目となるカジノへの参加でした。

6月の運動会は日系人会との共同開催という形で行われ、日本語学校はじめ日系人会会員の多くの方の参加を得られ盛大なものとなりました。昼食にはヘリテージフェスティバルのため新たに購入した特大バーベキューセットの登場となり会を盛り上げてくれました。昨年に引き続き楽しい運動会でした。11月の学芸会では始めての試みとして各学年父兄による学芸会準備をお願いいたしました。舞台背景画、作りものの準備と当日の舞台セッティングにそれぞれの学年の父兄が活躍されました。ご自分のお子様の舞台の手伝いとあってどのご父兄ともかなり力が入っていたように見えました。舞台装置に関してはリチャード校に移って2回目の学芸会で舞台の使いかってにも慣れ、新しいマイク、照明設備の購入にふみきりました。全体的に見て結果は非常に満足のいくものであったと思います。今までに会員の方から伺ったご意見も非常にポジティブなものでした。いかがでしたか?今回2回目となる10月のカジノは副会長の金さん、カジノの担当を申し出て頂いた菊地さんの指揮の下滞りなく終了することが出来ました。結果は皆様ご存知の通りだと思います。ご協力有難うございました。カジノのファンドレージング活動による財政改善によって必要十分な運営資金が定期的に入ってくるようになりました。役員会でも知恵を絞って有用な資金運用を検討しております。会員の皆様も良い案がありましたらいつでも役員までお知らせ下さい。

4月より取り組んでまいりました図書のコンピューター化に関しましては、大木先生、清水さんはじめ多くの方の努力により実現する運びとなりました。当番、図書の仕事の効率化につながることでしょう。

年度の始め「学校運営をよりオープンにする」を会長としてのゴールにしました。その一環として学校運営に会員の皆様のご意見を広く反映させるため、「学校運営改善のためのアンケート」を6月に実施しました。その結果多くの会員の皆様から頂いたご意見に基づいて9月から以下のアクションプランを実施しました。

コミュニケーションの改善:

á          年間予定表をスクールニュースに載せる。

á          各学年の父兄と役員の懇談。

á          各学年の父兄代表の選出。

ボランティア意識の改善:

á          ヘリテージの意義、継続の意思統一(総会、役員会等にて)。

á          カジノ資金の活用法の検討(総会、役員会等にて)。

当番制の改善:

á          長期の当番表。

á          当番内容、割り振り法、担当者の紹介をスクールニュースに載せる。

スクールニュース:

á          今まで通り、月1回印刷物の発行とする。

以上の改善項目は今後も継続していきたいと考えております。アンケート結果の詳細はアンケート結果のページを参照して下さい。

今年度のリチャード校との関係に関しては、リチャード校側のご理解と生徒、先生方、会員の皆様のご協力により非常に良いものでした。今後とも良い関係を続けられるように今まで通りご協力お願いいたします。

 今年度も行事、出来事、多くの討議事項で多忙な役員会でしたが会員の皆様、先生方をはじめ日本国総領事館、日系人会、海外子女教育振興財団、多数の無償ボランティアなど学校を取り巻く多くの方々のご協力、ご支援のもと学校運営を円滑に行うことが出来ました。本校を支えてくださった関係者の皆様のご協力に感謝いたします。図書を手伝っていただいた石田さん、片山さん、荒田さん、諸橋さん、夏休みに家庭教師をしてくださいました、田代さん、井上さん、岡本さん、金光さん。この場を借りてお礼を申し上げます。


 

 

手作りのコミュニティスクール                   

校長 大木 早苗

 

教師会では2004年4月から2005年3月までに予定されていた教育活動を完了したことを報告いたします。新しく2003年9月から使っているリチャードシーコード小学校にも慣れて、よりよく勉強ができました。3学期には漢字の学習をどうしたら楽しく効果的にできるかを検討して「漢字の達人になるぞー」というプログラムを作り、2005年4月の新年度から実行します。数年来待たれていた図書のコンピューター化も実現します

 1年間を思い返して強く感じるのは今までにも増して保護者の皆様が生徒の日本語の学習に真剣に取り組み、大変積極的に学校の運営や教育に参加していることです。新しい活動やプログラムを計画するときに、保護者や役員がよく考えた上で助言や指針をくださり、決まったことには全面的に協力してくださることは本当にうれしいことです。そういう保護者の「私たちエドモントンに住む生徒のための学校は私たちで運営しているのだ」という強い気持ちに支えられて、教師も毎週学校で教えることに価値を見出しがんばっているのだと思います。

 先日日本の雑誌にあった対談の中に、「地域立小学校創り」を考えているという話がありました。私立、公立、国立の学校はあるけれど地域の人たちが理事になって学校の方針を決め、人事権を持って学校を運営するという形の学校はまだないのだそうです。地域の人たちが既存の学校に行って専門のことを教えたり先生の手伝いをするというボランティア活動を取り入れている学校はすでに出てきているのはご存知でしょう。「地域立小学校」という言葉を読んでエドモントンでは小規模ながらもう27年以上やっていますよ、とお伝えしたい気がしました。この対談では「地域立小学校」がテーマではなかったので、「地域立小学校」が今までの学校とどう違っていてどこが優れているのかなどの話はありませんでしたので、私なりにそのことを考えてみました。

 1977年にエドモントン在住で小学生を持つ日本人の親が集まって「学校がなければ子供たちの日本語は家庭内での会話程度になってしまう、日本語が読めて書けて使い物になるようにするには学校が必要だ」という考えから、寺小屋でもいいから学校を始めようと決めました。そこから出発して検討した結果、みんなで運営する「コミュニティスクール」の草案ができました。私立でも公立でもない、また多くの補習校のように企業の集まりで運営されてる学校でもない、「地域の人たち」が母体になって運営する学校です。カナダにはいろいろなコミュニティ活動がありますが、アルバータ州には非営利団体が活動をするときに登録すると、資金集めの許可が得られ、税金の控除などを受けられる団体法があります。学校は創立以来この法律の下で活動をしています。カナダ人に広く門戸を開けること、総会を年に1回以上開いて会員の総意で役員を選び運営に関する重要事項を決めることなどがこの団体法の主旨に沿って決められています。この団体法に守られているので、学校が何をどう教えるのか、誰が教えるのかなどは自由に決めてよいのです。

 「コミュニティスクール」の性格を考える前にもう一つ加えたい学校の特徴があります。家庭で「手作りのパンを焼く」というと、既成のものに比べて家族の健康や嗜好にあった材料が吟味されている、添加物なども入っていなくておいしい、手間がかかるけど安心して食べられる、作った人の心がこもっている、小さい子供にはクマさんの形をした小さいパン、中学生のお兄さんにはカレー入りの大きなパンなど食べる人の状況にあわせてつくれる、作る人も本を読んだりして工夫をしている、たまには失敗もあるけど家族はそれもやさしく受け入れてくれる - 私は手作りパンにそんな感じを持っています。そしてこの「手作り」という概念を私たちの学校に当てはめてみると、びっくりするほど学校とパン作りが似ていることに気がつきました。

 この手作りと地域立の概念を合わせて「手作りのコミュニティスクール」についてお話をしたいと思います。私たちの学校がこれからも「地域の学校―コミュニティスクール」として日本語教育を続けていくための一考となれば幸いです。保護者の皆様もぜひこの「手作りのコミュニティスクール」という性格が何なのか、保護者はどう生徒の教育にかかわるのかをお考えになってください。そして考えれば考えるほど、「手作りのコミュニティスクール」がすばらしいことに気づかれるでしょう。私たちの手で子供たちの教育を計画実行出来るのです。自分の子供の教育がどう行われてほしいのか皆さんが決めていくのです。

 

運営の形態と保護者の役割:地域立の学校では保護者全員が学校運営の責任を持っています。便宜上役員会が毎週のお世話はしますが、何事もみんなで考えて決めなくてはなりません。団体法に守られている約束内ならどんな形でも学校を運営できます。私たちは我が家の子供がどんな教育を受けてどう成長していくのかには関心があり意見もありますが、学校全体になるとなかなか考えが及びません。でもコミュニティスクールの原則から見ると本当はみんながみんなのことをもっと考えなければならないようです。幼稚科の生徒の保護者でも中学3年生がよく勉強出来る体制になっているかを少し考えてみていただくと、学校はよりよいコミュニティスクールになることでしょう。みんながよくなることがわが子もよくなることにつながっているのが、コミュニティスクールの大事なところです。

 子供が学校に入園・入学すると当番の仕事が保護者全員に回ってきます。当番の日には図書の手伝いやコピーの手伝いをすることによって、ほかの学年にどんな生徒がいてどんな先生にどんな風に習っているのかも気をつけて見てください。

 

教育:規模の小さい学級で手作りの教育が出来るというととてもよいことですが、むずかしいこともあります。難しさの一つは、細部は手作りでも学校の教育を長い目で見たときの一貫性をどう保つかです。生徒は学年ごとに進んで行きますから、たとえば3年生の勉強が出来るには2年生の学習を終わらせていなければなりません。ところが2年生の手作りの授業が2年生の学習から外れていたらその生徒は3年生に進めなくなります。そのために私たちは小学1年から中学3年までは日本の国語の教科書を主柱にして日本語教育をすることにしています。そして全体の目標を知った上で生徒に合った手作りの授業をしています。幼稚科では教科書はありませんが、小学1年になったときに国語の教科書で勉強が出来るようになっていることを一貫した目標にしています。

 

専門家の助言:エドモントンに住んでいる日本人の人口は大変少なく、限られている方々の中から教師をえらび保護者が役員になるという学校運営形態を取っています。このときに難しいのは、専門家の知識を得ることや、すでに知られているよいことを取り入れたりすでに分かっているだめなことはやらないようにするというように、広くいろいろな知識に触れ、その中から取捨選択をしていく機能を持つことです。今年度は日本から小野博先生、国際交流基金から宇田川洋子先生がお話に来てくださいました。また補習校教師の研修会やカナダ日本語研究会などにも参加できました。そのほか、教師はInternetの機能を利用してたくさんの情報を使えるようになってきています。手作りのパンの例で考えれば悪いイーストを見分けたりよい小麦粉を見つけたりということは専門家やほかからの知識に頼らないと出来ないことです。基本的な土台は専門の知識によってしっかり築かなければなりません。

 「コミュニティ」の面からはアルバータ大学の東アジア学科と連絡があり、またアルバータ州の外国語教育関係の部署との関係もあります。それから保護者の中にエドモントンの高校で日本語教育に携わっている方があります。エドモントンの中学生を対象にした日本文化紹介のプログラムに取り組んでいる教師もいます。日本にいたときに学校や幼稚園で教えていた教師もいます。これはパン屋さんの親類がいるようなもので大変心強いです。これからもコミュニティから援助をいただきながら、また日本の教育関係の方々との交流も積極的に図って日本語教育に関する知識を広く求め続けましょう。そして私たちもエドモントン・コミュニティの一員として私たちが持っている知識をほかの方へ役立てるというのも大事な役割でしょう。

 

学校運営や教育の連続性:昨日のパンはおいしく出来たけど今日のパンは失敗だ、というのは一回二回は受け入れられてもいつもそういうわけには行きません。特に教育には通用しませんね。去年の3年生はとてもよい教育を受けたけど、今年の3年生は失敗だというわけにはいきません。去年とてもよかったことは今年も引き続けてほしいし、今年はもっとよくなってほしいと思います。運営面でも役員が代わっても今までよかったことは続けていけたほうがいいでしょう。手作りもコミュニティの力ですることも連続性を保つことが意外と難しいようです。教師会では、年間の計画と月案を使って連続性を失わないようにしています。教師が新しいことをするときは校長に相談したり教師会で話したりして新しいことが全体の教育方針にあっているかチェックします。そしてその試みが教育に役立ったときは教師会のときに発表して学校の方針として定着するように心がけています。

 

援助をいただいている機関:以上に挙げたどの項目にも重要にかかわっているのが、いろいろな機関からいただく援助です。総領事館や外務省・文部科学省、海外子女教育財団、アルバータ州教育省、エドモントン公立学校教育委員会、アルバータ大学、カナダ日本語教育振興会、エドモントン日系人協会などがあります。そして忘れられないのは今まで学校の始まったときからよいものをたくさん積み上げてきた保護者の皆様や教師の方々です。

これからもご一緒に教育活動を続けましょう。 


                                         

                 


2004年度コミュニティスクールの歩み

事務係 ダンウォルド節子

<入学式・始業式>4月8日(金)

リチャードシーコード校で移転から初めての入学式・始業式が行われた。

総数51名の生徒が登録した(新幼稚科年中組15名、年長組5名、1年生6名が入園入学した)。

幼稚科年中組が2学級編成となり、中2(中1・中3を除く)までの10学級が編成された。

今年度も引き続き、プレイスクールが父母有志の手で運営された。

2004年度年次総会>4月8日(金)

会長:大沢 誠

副会長:金 達也

会計:マクレーン 由美子

書記:フェドロー 美恵子

評議員:清水 聡、孟 寧、谷 エレイン

図書係:清水 理予子

事務係:ダンウォルド 節子

<学級懇談会>4月30日(金)-  5月7日(金)

  一年間の各クラスの方針を伝え、父母との話し合いをもった。

<ピクニック運動会>6月19日(土)

例年通りエドモントン日系人会館で開催された。

清々しい天気の中、小さなお子さん連れの家族も沢山参加し、賑やかなピクニック運動会となった。

EJCA有志によるバーベキューと参加者によるポトラックで楽しい一時を持つことが出来た。

<一学期終業>6月25日(金)

<焼き鳥作り>7月24日(土)

  ヘリテージフェスティバルの準備の一環として後援会、ECJA会員を中心に

焼き鳥を作った。

<北米西部地区現地採用講師研修会> 7月30日(金)-  8月1日(日)

  カルガリー補習授業校で開催。本校から2名(長倉・高橋先生)が参加。

<ヘリテージフェスティバル> 7月31日(土)-  8月2日(月)

今年も大勢のボランテアの手によって運営され、良い成果が上げられた。

<アルバータ大学日本語研修会> 8月19日(金)

アルバータ大学日本センター主催の日本語教師の為の日本語研修会があり、

本校教師も有志が参加した。

<二学期始業>9月7日(金)

  生徒数54名

<学年会> 9月24日(金)-  10月8日(金)

父母間のコミュニケーションの場として、各学年毎に父母、後援会長が会っ

て懇談した。

各学年毎に父母代表が選出された。

<カジノ・ファンドレイジング> 10月24日(木)-  25日(金)

本校のファンドレイジングの一環として、第2回目のカジノに参加した。

<みんなの作品集夏号>10月29日(金)

  クラス文集として各クラスで作成し、発行した。

<学芸会>11月27日(土)

  幼稚科年中組から中2まで参加し、プレイスクールの子供たちも発表した。

  今年度は各学年から選ばれた父母代表を中心に、学芸会が準備・運営

された。

新しい試みとして、幕間に子どもたちの学習や遊びの様子の写真をスクリー

ンに写し出し、好評を得た。

             プログラム

年中組      劇「ブレーメンのおんがくたい」

年長組      オペレッタ「ねずみたちの台所たんけん」

小1       劇「山寺のたぬきたち」

小2       劇「ありとキリギリス」

小3       劇「ばけもの寺」

小4       劇「最後の一葉」

小5・6     劇「プリンセスたちの井戸端会議」

プレイスクール  歌と踊り「げんこつ山のたぬきさん」「きらきら星」

中2       劇「電話」

<総領事館送別会> 12月3日(金)

エドモントン日系人会館で総領事館の送別会があり、学校から会長、校長、

父母有志が参加した。

<個人懇談会> 12月3日(金)-  10日(金)

  日頃のようす及び進級に関する話し合いをした。

<二学期終業>12月10日(金)           

<三学期始業>1月7日(金)

  生徒数名55名

<書き初め>1月21日(金)

  岡本浩子先生のもとで、小1から中2までの生徒が参加。

書初めは3月発行の作品集に収めた。

<講演会> 1月28日(金)

国際交流基金日本語派遣講師宇田川洋子先生による、日本語教育をテーマに

した講演があり、大勢の父母が聴講した。

<講演会> 3月4日(金)

メディア教育開発センターの小野博(ひろし)博士による、日本における日

本語教育の現状や外国語教育をテーマにした講演があり、教師、父母が参加

した。

<弁論大会>3月11日(金)

今年度は参加生徒(小5、小6、中2の計9名)が少なかった為、恒例のエ

ドモントン日系人会館ではなく、授業時間を使って、リチャードシーコード

校で行われた。

  最優秀賞: ザン ジェニーさん(小5)「また歯医者へ?」

        ラムジー アイリーンさん(中2)「新撰組のドラマを観て」    

<一日入園・一日入学>3月18日(金)

  年中組5名、年長組13名、1年生5名の入園・入学希望者を対象に行った。

<みんなの作品集>3月24日(木)

全校文集として編集され、各学年に配布した。

<終業式>3月24日(木)

  大木校長から50名の生徒に在学証書が授与された。   

  9名の生徒に皆勤賞が贈られた。

<2004年度教師・生徒名簿>

年中組み1  坂口宗先生      

              山田玲奈、元田怜、沼倉エミリー、フランキヴィス・ジェシカ、

              守田流佳、リチャードソン・クリスポ、田畑テイモシー

年中組み2    坂口宗先生

                         伊藤大志、金加奈、開出恵立佳、マクレーン葉奈、

                         坂口海、川本さくら、ヴァン流誠、山本ニコラス、橋本竜馬

年長組み        井上眞知子先生

                         清水勇樹、小林宇奈、谷涼太、ヴァン勇飛、

                         マリンズ圭智、孟ツオルト、藤村司

 

1年生            宿田美環子先生

                         伊藤真理菜、菊地歩、滝田圭央、フェドロー優子、

                         山田花鈴、渡辺健太、ヒル恵太、松本寿弥

2年生            中野早苗先生

                         大沢真琳、開出真与、清水沙羅、ジャクソン・ジャスミン、

                         李 賀菜、覃雪暁、及川パトリシア、リュウ・ジョアン

3年生            岡本あや先生、常田いち子先生(ミハイル君担当)

                         ジャクソン・マーカス、伊藤勇希、金力蔵、ケルシー・

 スコット、フレブニコフ・ミハイル、大場蒔

4年生            高橋澄子先生

                         王芸蓉、菊地光、マクレーン海、開出安和、

                         ワイ・シャーロット

5年生            長倉由紀子先生

                         沼倉絢次、谷愛香、ザン・ジェニー、リン・ジャッキー

6年生            賀川きよ先生

                         ジェラード・エマ、劉一鳴、マリノブ・ボヤン、ヤン・ビビアン

中学2年生    京極依子先生(12月まで)、大場恵子先生(1月より)

                         ダンウルド澪、ラムジー・アイリーン、陳ジェイミー、

                         ルジンスキー・ヤン、藤村太平

                         

                                                                                                          


2004年度 日本語学校アンケート調査結果報告

2004 school year Japanese school survey results                     大沢 誠

 

1.アンケートの目的 (Purpose of the survey)

アンケートを実施することにより、現在の日本語学校の問題点と改善方向を見つけ出すことを目的とする。アンケート形式の採用は、多くの意見聞き出すことが出来ると同時に会員の日本語学校への参加意識の向上に役立つものと信じている。

-English-

Purpose of this survey is communication to members and to bring up the possible issues on the current school operation. We believe this survey will help to build the consensus the school operation.

2.サンプル (Samples)

アンケートは2004年度 1学期の終わりに実施されました。有効回答数32、加えて数々の有益なコメントをいただきました。

-English-

The survey was conducted during 1st term of 2004 school year. Total 32 sheets were returned with many useful comments.

3.分析 (Analysis)

分析を行うにあたりできる限り公正に判断できるよう統計ソフト(JMP)を使用しました。分析方法としては、前述のアンケートの目的にあるようÒ日本語学校の運営を改善することÓを主目的として回帰分析による因子の割り出しを試みました。さらに項目別、学年別と解析をすすめ最も可能性の高い因子を探り出し最終的にアクションプランの提案をしました。

アクションプランまた解析の結果の裏づけとしてみなさまのコメントを参考にさせていただきました。ここで得られた分析結果は、統計に基づくものであり統計的にはという意味で理解してください。

-English-

In order to deliver fair conclusions, statistical software (JMP) was used for the analysis. Multiple factor regression modeling was used to identify possible factors contributing to the school operation. Comments are used to support the analysis results and make action plan. The results are based on statistical analysis.

4.回帰分析結果 (Regression modeling and Results)

Q17今の学校運営は全体的に見てうまくいっていると思う。

という質問に対しての回帰分析の結果、以下のような主因子が浮かび上がってきました。(+)は比例、(-)は反比例を示します又順番は因子として影響の大きい順です。比例とはQ2が増えればQ17も増加する関係のことで、反比例とはQ33が増えればQ17は減少する関係のことです。

Q2全体的に見て日本語学校のコミュニケーションに満足している。(+)

Q33スクールニュースの英訳はお金を払ってでも必要である。(-)

Q7ボランティアとして積極的に参加したいと思う。(+)

ちなみに、Q10全体的に見て日本語学校の当番制に満足している。との関係は非常に希薄でした。

まとめると、学校運営に満足している人とは、Ò日本語で情報が十分に伝えられており、日本語学校への参加意識の高い人Óと言えそうです。学校運営に満足している人を増やすには、コミュニケーション、ボランティア意識の向上が必要なようです。またスクールニュースについてはどうでしょうか?もう少し具体的な因子を見つけるためさらに分析を進めます。

コミュニケーション:

Q2全体的に見て日本語学校のコミュニケーションに満足している。

という質問に対しての回帰分析の結果、以下のような主因子が浮かび上がってきました。

Q3学校の行事時期は事前によく知らされていると思う。(+)

Q33スクールニュースの英訳はお金を払ってでも必要である。(+)

Q18学校運営に関して、役員はもう少し皆の意見を取り入れるべきである。(-)

まとめると、コミュニケーションに満足している人とは、Ò学校の行事時期を知っており、自分の意見は十分学校運営に反映されていると感じていて、英語によるコミュニケーションを重要だと考えている人Óと言えそうです。

さて、ここでQ33が学校運営に関する質問と矛盾するように見えますが、これはコミュニケーションに満足している人全員が学校運営に満足しているのではないということです。

ボランティア:

ボランティア意識は学年間の差が極めて大きいため同じように回帰分析を進めることはできませんでした(学年依存型)。そこで学年差のファクターをなくすため、年中~年長、1年生~3年生、4年生~中2とグループに分けて意識差を比較しました。結果として、学年があがるごとにボランティア意識が向上していくことが判明しました。特に4年生~中2のグループでは平均値が4.25、1年生~3年生では3.75という高い値で分散も見られませんでした(5がボランティア意識の最大)。意識が分散している年中~年長のグループを分析してみると、

Q7ボランティアとして積極的に参加したいと思う。

という質問に対しての回帰分析の結果、以下のような主因子が浮かび上がってきました。驚くことに、非常に高い相関関係が得られました。

Q30これからもカジノ参加を続けて行く方がよい。(+)

Q22これからもヘリテージフェスティバル参加を続けて行く方がよい。(+)

まとめると、ボランティア意識の高い人とは、Ò学年の上の父兄、もしくはカジノ、ヘリテージの参加を続けたいと考えている人Óと言えそうです。ただしここで注意しなければいけないのは、カジノ、ヘリテージを続ければボランティア意識が向上するということではありません。ボランティア意識の高い人は、日本語学校のイベントに積極的に参加していこうという人だということです。

それではどうして高学年の父兄はボランティア意識が高いのでしょうか?これは推測ですが、日本語学校の運営に深くかかわっているという意識、子供が長年お世話になっているという意識、年長者としてのお手本になろうという意識、日本語学校においてのヘリテージ、カジノの必要性の認識度なのではないでしょうか。

スクールニュースについて:

Q35スクールニュースは重要な日本語学校に関する情報源である。

と答える人が圧倒的(平均値4.31)であり、

Q34スクールニュースの発行回数を減らしても良いと思う。

と答える人は少数(平均値2.22)であるため、今まで通り毎月の発行とするのが良いでしょう(5が質問の最大)。

また英訳に関しては、学校運営とコミュニケーションで相反していることから具体的な判断は今のデータではつきかねます。今の時点で英訳をやめるというはっきりした結果がないことと現行の日本語学校の会員構成から判断すると英訳は必須であるといえるでしょう。余談ですが、

Q32スクールニュースはE-mail,Web等を活用することでお金か時間の節約になるなら、紙での配布をやめても良い。が学年依存型であり、学年があがるに従いポイントが下がるという結果がでました。これは推測ですが、年齢によるハイテクの許容量の差かもしれません。


-English-

Q17 Overall, I am satisfied with the school operation.

Following major factors are identified by the regression modeling.

(+) shows direct proportion, (-) shows inverse proportion. And order is magnitude of the factor.

Q2 Overall, I am satisfied with the communication from school. (+)

Q33 It is OK to pay additional fee for English translation of the school news. (-)

Q7 I am willing to be volunteer for the school. (+)

Statistically, there is no clear relation with ÒQ10 Overall, I am satisfied with the duty system of schoolÓ.

Conclusion:

The person satisfied with the school operation is ÒHave enough information about school in Japanese and willing to participate in school operation. ÓStatistically, Communication and Volunteer spirit is the key factors to improve the satisfaction of school operation. How about school news? Here is the further analysis result,

Communication:

Q2 Overall, I am satisfied with the communication from school.  Following major factors are identified by the regression modeling.

Q3 School event date is well informed. (+)

Q33 It is OK to pay additional fee for English translation of the school news. (+)

Q18 School board should reflect membersÕ opinion more. (-)

 

Conclusion:

The person satisfied with the communication is ÒKnow the school event date and feel their opinion is reflected to the school operation and think English is important for the communication.Ó

Q33 is contradicting with the satisfaction of the school operation. This means communication and school operation satisfaction is NOT perfectly match in the sample.

Volunteer:

Since there is a significant difference between grades for this question (Q7), regression modeling is not appropriate with all samples (Grades dependent).

In order to eliminate Grades dependency, samples are stratified to each grade groups, Kinder (Nencyu + Nencyo), Grade 1-3 and Grade 4-8. As a result, sample data mean shows volunteer spirit is direct proportion of grades. Grade 4-8 mean is 4.25; Grade 1-3 mean is 3.75 and no significant distribution (5 max).

As for Kinder group, following major factors are identified. Results shows pretty good fit for this model surprisingly.

Q33 We should continue the Casino in the future. (+)

Q22 We should continue Heritage festival in the future. (+)

Conclusion:

The person having high volunteer spirit is ÒA parent of higher grade or supporting Casino and Heritage festival.Ó However, it doesnÕt mean continue Casino and Heritage will help improving the volunteer spirit. What this mean is the high volunteer spirit person tends to support schoolÕs event like Casino or Heritage. Now, why parents of higher grade have higher volunteer spirit? Here is an assumption; those parents feel being part of the school operation, owing to school, being good example for new comer or recognition of the importance of Casino and Heritage festival.

School News:

Q35 School news is the most important news source about Japanese school.

Q34 School news frequency can be reduced.

Q35 mean is 4.31 and Q34 mean is 2.22 (5 max). According to this result, school news should be the same frequency as is.  As for English translation, there is no clear data showing we should stop English translation, and based on the school memberÕs nature, we should continue as is.

5.その他の事項 (Other significant items)

当番制について:

Q10全体的に見て日本語学校の当番制に満足している。

という質問に対しての回帰分析の結果、以下のような主因子が浮かび上がってきました。

Q12当番内容は適当量である。(+)

まとめとして、これは当然の結論だと思います。ただしここで注目すべきは、

Q11当番を替わってもらうのは、当人の責任であると思う。

Q12当番内容は適当量である。

の二つの質問は学年に比例した学年依存型であるという点です。この結果が示しているのは、Ò経験の差Òと言えるのではないでしょうか。当番経験があれば、当番内容は分かっているし、顔がきくため当番を替わってもらえる人を見つけるのも簡単でしょう。アクションプランとしてこのÒ経験の差Òを補うことを盛り込んでいくべきでしょう。また、

Q14当番の回数を子供の数に比例させたほうが良いと思う。

Q15日本語学校に入ったのだから年中組みの父兄も当番を1日やるべきである。(当番は今まで通り)

の質問には学年間の差は認められず、学校運営、当番制の満足度との関係が極めて低いことから当番制は今まで通りとするのが妥当だと言えそうです。

ヘリテージについて:

これも学年に比例した学年依存型でした。

Q22これからもヘリテージフェスティバル参加を続けて行く方がよい。

という質問に対した傾向として、学年が上がるにつれ参加継続を望む声が強くなっています。前述のボランティア意識の項にも書きましたが、ヘリテージの必要性認識度の差に起因しているのだと思われます。ここで必要性認識度とは、過去において重要な資金源であったヘリテージの価値意識と日本人としての社会貢献意識(カナダにおける日本文化の紹介)のバランスだといえるでしょう。

それでは、はたして日本文化の紹介が日本語学校とその父兄の守備範囲内であるのでしょうか?注目すべきは、

Q37子供は日本語学校で日本語だけ学べばよい。

Q38子供は日本語学校で日本の文化を学んでほしい。

という質問に対してQ37は平均2.20、Q38は平均4.13ポイント(5が質問の最大)と学年を問わず圧倒的に日本文化を学んでほしいと望む父兄が多いことです。この結果から子供に日本文化の吸収を望み、また日本語学校に日本文化の取り扱いを望んでいることがうかがえます。父兄が日本文化の紹介に労力をおしまないのは当然だといえます。結論として、日本文化の紹介は日本語学校とその父兄の守備範囲であると考えている人が多数であると言って良いでしょう。いずれにしろ、ヘリテージに関しては意見統一のためにさらなる議論が必要でしょう。

-English-

Duty Plan:

Q10 Overall, I am satisfied with the duty system of school.

Following major factors are identified by the regression modeling.

Q12 Duty load is adequate. (+)

Conclusion:

Make sense and no any surprise. Here is another point.

Q11 Finding the substitute person of my duty is my responsibility.

Q12 Duty load is adequate.

Those 2 questions are direct proportion of grades. It is concluded those results are pointing ÒExperienceÓ. If you have a duty experience, you know what it is. And if you are in the school for some years, you know to whom you can ask for a substitution. Helping this experience factor should be in the action plan.

As for duty scheduling,

Q14 Duty frequency should be based on the numbers of students of the family.

Q15 Kinder1 (Nencyu) family should take the same load (Same as now).  Since those questions have no significant difference in grades and no significant impact to the satisfaction of school operation and duty satisfaction, duty schedule should be unchanged.

Continue Heritage festival:

Q22 We should continue Heritage festival in the future.

This question is direct proportion of grades. Same as I mentioned in volunteer part, importance of Heritage is the high probable factor. Importance may be based on the significant funding in the past and the contribution to the Canadian society as Japanese.  Now, is Òthe contribution to the Canadian society as JapaneseÓ part of schoolÕs work? Here is the answer,

Q37 My child should only study Japanese language in the school.

Q38 My child should study Japanese culture in the school as well as language.

Q37 mean is 2.20 and Q38 mean is 4.13 (5 max). Regardless of the grades, parents are willing their children to learn Japanese culture in the school. This means, most parents are expecting school to cover cultural aspect. By definition, school is operated by parents, so it is fair to say Òthe contribution to the Canadian society as JapaneseÓ is part of schoolÕs coverage.  However, still funding factor is unclear, it is recommended to have further discussion for this matter.

6.アクションプラン (Action Plan)

コミュニケーションの改善:

年間予定表をスクールニュースに載せる。

各学年の父兄と役員の懇談。

各学年の父兄代表の選出。

ボランティア意識の改善:

ヘリテージの意義、継続の意思統一(総会、役員会等にて)。

カジノ資金の活用法の検討(総会、役員会等にて)。

当番制の改善:

長期の当番表。

当番内容、割り振り法、担当者の紹介をスクールニュースに載せる。

スクールニュース:

今まで通り、月1回印刷物の発行とする。

-English-

Communication:

-       Annual schedule to school news.

-       Meeting with each gradeÕs parents with board member

-       Select representative on each gradeÕs parents

Volunteer:

-       Further discussion about future Heritage festival (Board meeting, General meeting etc.)

-       Further discussion about Casino funding (Board meeting, General meeting etc.)

Duty:

-       Long term duty schedule

-       Duty work, Duty date selection, responsible person to school news

School news:

-      No change

7.最後に (Note)

アンケートの結果はその当時の意識傾向を反映するものであって絶対普遍のものではありません。今後も定期的にアンケートを続けていくことが望まれます。また図書館、日本語学校自体に対しては、非常にポジティブなコメントを多数いただきました。分析に関しては、質問数の割にサンプル数が少ないためかなり苦労しましたが結果が出てみれば、まあだいたい予想できたところだと思います。みなさんご協力ありがとうございました。

最後にアンケートの全体の結果表を参考までに添付しました。

-English-

Survey result is reflection of the opinion at that time. It is highly recommended to have the survey regularly.  We have many positive comments for Library and Japanese school.  Although results are not far away from our imagination, lack of samples compare to numbers of questions makes me difficult to analyze.

Thank you for your cooperation.  Overall chart is added below as a reference.

 

 


 

 

                                                                                                      


「日本語学校で こんにちは」

                                                                                                                  フェドロー 美恵子

プレイスクールのヤングママたち

 

Q1     活気のあるグループで、皆さん一生懸命頑張っていらっしゃいますね。子どもさんをこちらに連れていらした理由は?

母1  日本語にふれさせたいこと。それと、親の発散かな。人とのふれあい。こっちに来て、日本人の輪が広がってÉ。出会い。小さい子とか、だれも知らなくて。

母2  うん、同じ。

母3  同じ。

Q2     補習校の印象は?

母4  とてもしっかりなさっててÉ。特に役員をなさっているお父さん、お母さんとか、先生方とか、ほとんどボランテイアで一生懸命なさっていて、いい事だなと思います。

母2  同じ。

母3  同じ。

Q3   子どもさん達は楽しみにしてますか。

母1  すごい楽しみにしてますね。とっても楽しみ。

Q4    苦になってない?

母1  まだない。これから分かんないけど。

Q5    会話は全部日本語で?

母1  大体そうです。授業は全部日本語。

Q6    家庭で心掛けていることは何ですか。

母1  なるべく日本語を使うこと。

母2  親子の会話って、決まってくるじゃないですか。「早く起きて」、「ご飯食べて」、「早くして」って、オーダーする言葉になるのね。ここに来ると他のお母さんの言葉が聞けて、それをたまに子どもがまねしたりÉ。それだけでも、すごくÉね。

母1 受け答えが分かってくる。家では日本人同士の会話を聞く機会がほとんどないからÉ。一対一の会話しかできないから、お母さん以外の人への返事の仕方が分からない。ここに来ると、皆さんの会話が聞けて、こういう時はこういう風になるんだなって分かる。

Q7    そうですね。長く続けたいですか?

母1  はい。

母2  はい。

Q8    日本語学校に期待することは?

母1  楽しく。

母2  楽しく。うん。

どうもありがとうございました。

 

一年生のお母さんたち

 

Q1 子どもさんを入学させた理由は何でしょうか。

母1  え、やっぱり、日本語がしゃべれることはいいことだなとÉ。自分が語学が得意じゃなかったので、語学はなるべく沢山やらせたいと思って。

母2  私もできれば、日本の家族との交流を娘に保って欲しいために日本語学校に送りました。

母3  きっかけは私の両親が孫とコミュニケーションをとりたいから、日本語はキープして欲しいと言ったこと。会話なら家でも出来るけど、読み書きは親が教えるのでは子どもがしなくなるでしょ。学校でちゃんと勉強して欲しい。

Q2   第一印象はどんな感じでしたか。

母1  入っていけるかなというのはあった。心配でした。今までそういう所に行ったことがなかったから。

Q3   親の方?子どもの方?

母2  子どもと私。人見知りするのでÉ。

母1  えっ?

母3  私は子どもは溶け込めると思ったけど、親が溶け込めるかが心配だった。一クラスが思ったより少なかったÉ。もうちょっと生徒数があるかと思ったんですけど、びっくりしました。

Q4  子どもさんは日本語を使うことが好きですか。

母1  日本語が一番かな、今。私と話す場合は。

Q5   お父さんとは?

母1  英語です。もっと父親とも話してほしいんだけど。

Q6  こちらの学校は?

母1  フレンチイマージョンです。

母2  フレンチイマージョンです。

母3  フレンチイマージョンです。

Q7  皆さんそうなんですね。では、日本語学校は楽しみにしてますか?

母1  楽しみにしてる。

母2  楽しみにしてる。

母3  学校に来るのは楽しみにしてるけど、宿題はやっぱり、ちょっとÉ。時間はかからないけど、「宿題」と言うと、「後でする」とかÉ。「宿題するのが楽しくて」ということはないですね。

Q8  宿題、すぐやってくれますか。

母1  それがやらないんですね。最後までためこんで。特にうちの子は日記が苦手で、書かせると短くて。最後がいつも同じ。

1と2 「楽しかったです。」

母1「もうちょっと書け」って言うんだけど。

Q9   家庭で心がけていることは?

母1  正しい日本語をしゃべること。

母2  英語になってしまうものを日本語に直してあげる。なるべく日本語で話す。

母3 私とは絶対日本語。英語を混ぜたらだめ。混ぜたら、聞き返して日本語に直させます。お父さんとは英語。

Q10  今後日本語学校に望むことは?

母1  このくらいの規模が非常に心地良いので、「あまり少なすぎず、多すぎず」だったらいいなと思います。

母2  楽しく。

母3  楽しく。本人はもっと行きたいんです。週一回以上行きたい。実際はなかなか難しいけど、子どもの希望はそうなのね。(学校)行事にも、全ての事にもっと参加したい。活動したい、子どもは。親は大変ですよね。曜日のこと、校舎を借りる事É。子どもはできれば日本の学校に行きたいってことかなÉ。

1と2 すごいね。

ありがとうございました。

 

2年生のお母さんたち

                                                           

Q1    お子さんを日本語学校に入学させた理由は?

母1  私は子どもが日本語しか話せないから、ここで一番のびのびと発揮できるかなと思って。最初はプレイスクールだから、遊ぶお友達が欲しくて入りました。

母2  いずれ日本に帰るから、一年生に入ったらここで勉強してもらおうと思ってÉ。

母3  私は周りに(日本語学校の)卒業生がいっぱいいたので、ここで生まれても日本語学校に行けば日本語の素晴らしい使い手になれんだとÉ。モデルがいたから。

Q2    学校の印象はどうでしたか。

母3  入った頃はまだ両親が日本人のご家庭が多かったので、こういう中でうちの子はついていけるかどうか心配でした。最初の子はとにかく入れてみてÉ。様子をみてたら、これは苦しいなという感じがしたので、「もっと早くから」とか、「やり方を変えていただけたら」とか思いました。前から国際結婚組もいて、いろいろなケースがありました。ついていけないケースもあってÉ。ついていけた人はかなり努力してましたね。日本に行ったりとか。普通にここにいて、片親だけでもやっていけるようにするにはもうちょっと学校全体としてサポートがあった方がいい。

Q3    いつ頃からそんなふうに感じ始めましたか。

母3  いろいろ段階がありますけど、やっぱり3年生。

漢字がもう怒涛のように。

Q4    2年はまだ大丈夫?

母1  何とか、まあ、ふうふう言いながらも。

母2  大変、大変!家で毎日新しいのを2つずつ覚えさせてます。テストもして。最近要領がよくなったけど、なかなか覚えられない。日本の子も同じように苦労はしているみたいね。「はね」、「はらい」とかきびしいから。その点こっちは楽なんだから、頑張ってやらせないとと思って。

Q5    子どもさんは楽しんでいますか。

母2  楽しんでるか、どうか分からなくなった。一年の頃は楽しんでると思ったけど、今はどうかな。友だちと会うのは楽しいんだろうけど。それほど前みたいな喜びはない?

母1  うちはまだ楽しんでるかな。いや、もちろん大変ですよ。漢字なんかも毎週テストがあるから、前の日に宿題をやらせて、そのまま次の日にÉね。

Q6    漢字のテスト?

母1  大体毎週あるんです。2年から。

母2 一年の後半からあった。今は大体毎週。2年になったら、覚えきれなくなってきた。使わないし、目に入らないし。

Q7    子どもさんは日本語を使うことが好きですか。

母1  うちは日本語だけだから。

母2  好きだけど、英語もすごく入ってくる。小学校に入るとキープするのは大変なことだと思う。今はまだいいけど。

母1  英語が入ったら、日本語も一緒に伸びると思ったけど、日本語は落ちていってるみたい。

母2  そう。全体として入る量は同じって感じ。

Q8   家庭で心掛けていることは?

母2  おばあちゃんと電話でよく話をしたり、何か面白いことを日本語でさせてあげようと思うんだけど、なかなかÉ。

母1  しゃべっている時にどうしても単語が英語になりがちなのをもう一度聞きなおして。分かってたらいいけどÉ。月があるでしょ、5月とか6月とか。つながらないの。聞いてると英語が入ってくる。

Q9   今後日本語学校に望むことは?

母1  親もできないけど、楽しく勉強させたい。興味をもって。

母2  私が願っていることは、せっかく国語の本を使っているんだし、ものを読む楽しみを教えてもらえたらいいなと思います。

母3  学校があって、楽しい雰囲気の中で勉強できるから続けられるんだと思います。ある程度のところまでは繰り返しによって身につけなくちゃいけないところがあるから、ガンガンやって、3、4年になって要領がつかめたら、親が言わなくてもやっていける。そこまではやらせます。「これは虐待か」みたいな時がありますよ。「涙なしでは」って感じ。(笑)

ありがとうございました。

                                                                                    

三年生のお母さんたち    

                     

Q1   お子さんを入学させた理由は?              

母1    日本語でコミュニケーションをして欲しいんです。日本の家族ともやり取りして欲しい。最近ダンナとも話すんだけど、将来の就職を考えた時、日本語がしゃべれたら強いなと。

母2    主人は日系4世で、彼も日本語学校を卒業したんです。エドモントンには学校があるし、日本語は選んでというより、自然な感じで。

母3    三才でプレイスクールに参加してから、そのままの延長で。私が英語ができないので、親子の断絶にならないように頑張ってます。

Q2    日本語学校の第一印象は?

母1    最初はあまりいい印象じゃなかった。できれば入りたくない(笑)と思ってしまいましたね。「入ったら抜けられない」といった微妙なプレッシャーがありました。「何か重たい雰囲気」が。日本語は習わせたかったけどÉ。今はそうでもないと思う。

母2    私は義姉が七年前にプレイスクールを設立した時にかかわって。上の子が三才だったから、小さい子ども達とお母さん達が集まって、折り紙や読み聞かせをして、和気藹々と始めたんです。少人数で、明るくて、楽しい雰囲気でした。プログラムもオリジナルっていうか、「手作り」って感じ。子どもにとっていい環境で、恵まれてるなと思いました。

母3 私も楽しい印象でした。四月の後半から入ったから、一番初めの始業式を知らなかったんですね。でも一年後に総会の案内をもらったりして、初めて「これは厳しいかも。」と思いました。保護者に対する重圧を感じました。「もう少し楽しくできないもんかなÉ」と。今となっては重圧も必要かなと思いますけどね。

母1    今となっては(重圧が)もう少しあってもいいかなと思う。

母2    変わるんだ。変わる、変わる(笑)。

母3    初めは学校をよく知らなかったから、そう感じたんですね。

Q3    子どもさん達は日本語学校を楽しんでいますか。

母1    宿題がなければ楽しい。特に漢字がね。

母2    ウチは三人三様。プレッシャーがないから、小さい子ほど楽しいと思ってます。二番目もまだ楽しい。でも上の子は漢字に追われてちょっと苦しんでます。もう笑い事じゃないんです。

母3    楽しいかなÉ。三年生になると確かに漢字はすごくドカッと多くなりますね。

Q4   二年生からまた増えるんですか?

母3    二年生とは出方が比じゃないです。新出漢字がすごく多いÉ。ウチは一学期の宿題にすごく苦労したんです。毎日、毎日練習してチェックするというのがあって。でもそれをしたから覚えたというのもありますね。やらなければ覚えないなとすごく思った。今減ったでしょ?

Q5   減ったんですか?

母3    なくなったんです。それまで「書いて、書いて」という宿題が、読んで終わりになったんです。だから、多分、覚えてないと思う。子どもたちにとって、表面では(学校は)楽しくないのかもしれないけど、本当は楽しいのかな。今回も「辞めましょう」と言ったら、今日は自分で用意してましたね。

母1    「辞めるか」と言うと、辞めない。でも勉強はすごく嫌い。でも辞めない。

Q6    何か魅力があるんですね。友達?

母1    友達は男の子が四人、小さい時から行ってるから、行くのが自然になってるのかも。

母3    習慣かな。

Q7    ご家庭で心掛けていることは?

母1    最近は英語が混じるけど、私から話す時は日本語のみになるように。混じったら、聞かないで直す。本は一緒に読む。

母2    ウチも極力本を読む。一冊全部でも。普段は学校から帰ってきたら、おやつの前に10分でも読ませますね。

母3    私の場合は環境が違うかも。英語でしゃべったら私は分からないから、「それは何?」と聞き返す。本は小三用のきちんとしたものでなくて、いただいた漫画とかをいつも読んでいるようです。

母2    子どもが積極的に読むっていうのはいいと思うよ。

母1    漫画でも読んでたらいいよ。

母3    私は公文や通信教育とかはできないので、学校の先生が宿題としてくださるものを基本に、それだけはやらせるようにしたら、まあ、学年はついていけるかなとÉ

Q8    今後、日本語学校に望むことは?

母2    私は行事の中に、運動会とか学芸会以外にも子ども達が楽しめるイベントがあったら、それが楽しみになるのでいいんじゃないかなと前から思っていました。

母1    ウチはスローペースで覚えていってる感じだから、同じ3年生でも一年かけて終わらせるクラスと二年かけて終わらせるクラスがあったらいいかな。

母3    何かなÉ、ないかなÉ、現状に満足かな。特に不満はないですね。

母1    そうそう、音楽の時間があってもいいと思います。

ありがとうございました。

 

中2のベテランママたち

 

Q1  日本語学校にいらしたきっかけは?

母1 偶然会社の先輩が「日本語の本がかりられますよ。」と教えてくれたんです。

母2    領事館が教えてくれました。知った時は上の娘が幼稚園の前だったので入れなかったけど、翌年から入りました。次の子はもう知ってましたから。

母3    私は友達から聞いて。

Q2  学校はどんな感じでしたか。

母3 私は自分が自分らしくふるまえたかな。日本から来た子どもにとってもそうだったと思います。私達の子どもには宿題があって、大変だったかも。

Q3  そちらはどうでしたか。

母2 うちの子は中三まで続けるという目標があったから、抵抗はなかったみたい。上の子も中三というのがいい区切りになって、それまで続けましたね。下の子は学校の都合で去年同じ学年を繰り返したのも苦ではなかったようです。バスケをして遊ぶのが楽しみで、5時になると「早く行かなきゃ」とうるさいです。クラスが始まる前に遊ぶのが一番楽しみなんですね。

母3 うちは三人の子どもが中三を卒業しましたけど、後で卒業生の特別クラスに行かないかという話が出た時は、それ以上は苦労したくないといった感じでしたね。やっぱり勉強ですから、大変だったのかな。今三人は日本語が聞けて、話せて、書けるという自信を持っているみたいです。

Q4    何かご家庭で心がけたことは?

母3    私は日本語でしか子どもを育てられないから、24時間日本語で接しています。だから、子どもも日本語でしか話しません。でも英語を覚えて欲しかったから、時には「今日スクール行った?」なんて言ったこともありましたね。英語は使わなければ良かったÉ。若い親のあせりでしたね。こっちの学校での遅れが気になって。

母2    いつもこの学校で言われているように、小4くらいまではいつも親がちゃんとついて勉強させればあとは楽になりますよ。小さい頃は一緒に宿題をして、教科書を読ませてということに力を入れましたけど、今では漢字だったら自分で辞書をひいてやってます。この2年ほどあまりやってないけど、前までは1,2回一緒に読んでいました。長いものは半分くらいずつに分けてÉ。中学生くらいになると文章が長くて、嫌になるんですね。二人とも辞書をひく習慣がついたのは良かったと思います。5、6年の頃は一緒に競争してひいてました。

母3    私も一緒。幼稚科から4年ぐらいまではつきっきりで宿題をしました。親が強くないとできないですね。大変でした。親自身も成長しましたよ。その後は本当に楽。

Q5    4年生までがカギですか?

母2    そうですね。

母3    学校にまかせておいてはだめ。一週間に1回ですからね。親が責任を持たないと。学校で退屈しないためにはやはり、家でそれだけの努力をしないといけないと思います。学校での勉強が楽しくなるためには、家で努力ね。

Q6    学校への希望は?

母2    ウチはあと2年だからねÉ。子どもも学校で遊んでるけど、親も同じ学年に子どもがいると仲良くなります。親も楽しまないと続けられない。日本人同士友達もふえるし。楽しんだらいいね。

Q7    子どもさん自身はこちらの学校もあって、忙しくないですか。

母1    そうですね。うちの子は学校に行きたくないというんですけど、来たらすごく楽しんでいるようですね。でも、英語の学校の宿題はかなり多いÉ

Q8    そんな時、日本語の方は?

母1    今はすごく本に興味があるので、探してやると夢中で読んでいます。

Q9    どんな本ですか?

母1    本当にあった話とか、感激するような話とか。英語の学校に日本語の本を持って行って読んでいるようです。

母3    (日本語学校は)遠いのにÉ。30分以上かかるでしょう。すごい根気。

母1    娘は負担を感じてますね。金曜日で疲れている上にÉ

母3    どうしてる?

母1    途中で一回テイム・ホートンズとか好きな所に先ず寄って、コーヒーを飲

んだりね。時間がないからそこで宿題をしたり、勉強したり。

母2    辞めようとは思わない?

母1    私としてはとにかく頑張って日本語を続けて欲しい。私と私の両親とも日本語で会話をして欲しいという願いがあったからÉ。日本に行ったら、おじいちゃん、おばあちゃんと日本語で話して欲しい。

ありがとうございました。

 

先生たち

 

Q1    それでは、校長先生に先生方のお仕事を簡単に説明していただけますか?

P        そうですね。主に授業の用意、宿題の用意、3時間の授業、そして宿題のチェックがサイクルです。毎週の授業計画は月ごとの月案に基づいて立てますし、学期ごとのプラン、1年の年間プランと準備しておきます。年間のプログラムの用意は大抵3月か4月にします。あと、運動会、学芸会、弁論大会、作品集作成などの行事にも出来るだけ参加します。それから、子供達の相談、時には親睦会などもあります。何か、抜かしたかも?(笑)

Q2    教えていらして、楽しいなと感じる時はどんな時ですか。

T1        用意したことがうまくいった時はとても楽しいです。新しいことを生徒が学んだなと感じた時はすごく嬉しくてやりがいがある。

T2        例えば教科書に夏目漱石の「坊ちゃん」が少し載ってるんですけど、それを読んで「あっ、面白い。もっと続けて読んでみたい」と言ってくれた時。あと、高学年の生徒さんが日本に行ってきて、色々誇らしげに報告しに来てくれる時も嬉しいですね。

T3    宿題などを子どもがお母さんと一緒に心をこめて、きれいに丁寧にやってくれた時が嬉しいです。それから、子どもが家であったことを日本語でよく話してくれる時も嬉しい。

T4        ただ計画にそって進む授業はあまり感動がないんですが、うまく進んで尚且つ子ども達がすっごく楽しんでくれて、それが家庭で親御さんにも伝わり、「子どもが楽しんでました。ありがとうございました。」って報告して下さるその時が一番嬉しいです。自分の計画したことが実になったんだなと。その達成感が「次はこんなことをしてあげたいな」という励みになります。

Q3    逆に むずかしいなと思う時は?

T    例えば漢字の書き順などを学校で何回も教えて、お母さんにもちょっと注意を促すんですけど、次の授業ではまたそのままの状態の時ががっかりです。もう少しお母さんにも関心を持っていただきたいですね。

T4        導入部分で興味をもたせようとして、話しかけだとか語りかけだとか準備しても子どもたちが全然のってこない時があるのでむずかしいなと思います。

T5        宿題を出しても「もう分かってるから」と答えを書いてくれない時があるんですが、あれは困ります。聞くと確かに分かっているようなんですけど、何も書いてくれなかったら困りますね。

T    教科書の内容が日本に住んでいる子どもが対象ですので、こちらの子どもたちには難しい時があるんです。特にアクテイビテイーが。時に抜かさなければならないものもあるので。

Q4    最近の生徒の傾向は?

T    最近の子は元気ですね。自分の思うことをはっきり言葉と態度で表してくれます。元々こちらの子はそういう傾向が強いんですが、今の子は本当にそうですね。教師としては生徒の気持ちや授業の理解度がよく分かるので助かります。反対に、昔は絶対になかったんですが、例えば、「黒板に書いたところをノートに書いてください。」、「本を読んでください。」と言っても「いやだ。」って返事をして、すぐやってくれないことがありますね。「いやでも読んでくれる?」って言ってるんですけどね。

T    生徒自身は昔と今とでそんなに変わってないと思います。ただ、その年々によって違うことはあるなと思います。「去年の生徒と今年の生徒は全然違う」とかね。家庭環境が左右してるんじゃないかな。

Q5   先生方の立場から、今日本語学校が直面している問題があれば教えていただけますか。

T    最近家庭で日本語をあまりしゃべらない生徒さんが増えているので基本的な日本語の授業についてこれない生徒がいますね。それが難しいです。

T6        学習の目的が色々違ってきているようですね。親御さんの目的も違うし、子どもがもっている目的も違う。よく分からないで来ている子もいる。親御さんにしても「何となく」という感じで目標が明確でなかったり、個人によって全然違っていたりと、多様になっていることが大変ですね。

Q6   それでは最後に今後の抱負は?

T7        クラスの中で生徒のレベルがかなり違うので、前年の教材の引継ぎなどはするんですけど、全体的なレベルも違ってきているんです。出来るだけ早い時期にそれを把握して、クラスとそれぞれの子ども達にあった教材を作っていきたいと思います。それから、みんなが参加できるような活動、日本語があまり上手じゃない子とか差がありますけど、みんなが参加してみんなが発言できるようなクラスにしていきたいです。こちらが一方的に教えるだけじゃなくて、向こうからも発表してもらえるような。それも、ただしゃべるだけじゃなくてきちんとした、フォーマルな発表をしていけるような形の授業にしたいですね。

弁論大会

 
ありがとうございました


日本語教師喜怒哀楽記

           

                                                                                                       岡本 あや

 私はエドモントン日本語学校の教師をさせていただいて今年で3年目になります。まだ短い期間ですが、学んだことがたくさんあります。

 毎週金曜日の夕方、昼間の仕事が終わった後で学校に行くわけですが、時には学校が始まる前なのにすでに疲れていることがあります。まだ慣れない初めのころには、金曜日は夜まで緊張が続いて、家に帰るころにはぐったり疲れきってそのまま翌日まで寝込むこともありました。今では学校に着いて元気な自分のクラスの生徒の顔を見ると、みんな本当にかわいらしくて、数時間は疲れも忘れてしまいます。生徒たちが、日本語学校以外で起こった出来事を夢中になって話してくれる時には生徒たちに親近感をおぼえて、「先生っていいなぁ」と感じます。

 そんな週1回3時間の授業なのですが、結構大変なこともいろいろとあるのです。まず、宿題ですが、その週に行う授業内容に見合った問題と量を考えて作らなければなりません。そして、その宿題を生徒たちが自分でできるように、時間内にこなせるような学習内容の教案を作っておきます。学校の準備は、家で参考書類を掘り起こして何時間もかけて行います。それでも、計画通りにいかず、どうしてもこれだけはこなしたいと思っていても、その時のクラスの雰囲気によっては、何をしても生徒たちについてきてもらえないこともあるものです。「一週間に一度。今日こなせなければまた来週になってしまう。生徒たちは宿題を理解できないかもしれない。」と思うと、ストレスにのあまり、悲しくなってしまいます。

 私は去年と今年、小学3年生を教えているのですが、授業中に生徒たちをじっとさせるのに一苦労することがあり、どうして子供たちはこんなにエネルギーが余っているんだろうと感心してしまいます。今では笑い話なのですが、クラスが元気あまって、生徒の振り上げたバインダーが私の目に当たり、目から血を流したことがありました。「流した」というと大げさなんですが、切れた目尻を押さえる私を見て、今度は子どもたちがまた大喜びしてさらに騒ぎ出したのにはさすがに参ってしまいました。そんなときは、教師の仕事は体力が勝負だ!としみじみ痛感するものです。

 そんな生徒たちと勉強した1年間もあっという間に過ぎるものです。学年度末、これがこの子たちと授業をするのが最後だという日には、さすがにちょっと 寂しい気持ちになります。そして、また久しぶりに学校の廊下などで、以前に自分のクラスだった生徒を見ては、その成長の早さにびっくりしています。

私はまだ試行錯誤の過程で毎週を乗り越えていますが、今後も生徒たちと共にがんばっていきたいと思います。

 

 

息子と日本語Éそして日本語学校

                               ヒル 厚子

 カナダ人の夫と結婚した時から、私は、『生まれてくる子供には、日本語と日本の文化をしっかりと教えていこう』というひとつの明確な理想を持っていた。

 ところが、一旦息子が生まれてみると、育児の煩雑さに加え、日本語の全くわからない夫、日本人のいない町という環境の中で、異なる言語を保っていくことがいかに困難であるかという現実にすぐさま直面した。その上に、息子は1歳を過ぎて言葉がわかるようになるとÒNo more Japanese!Óと母親の私しか話さない変な言葉を拒否するようにもなった。Òそれでも押し通すÓという根性と忍耐力のなかった私は、そのうちに息子が学びたくなれば、自分で学べば良いと妥協して安直な道を取るに至った。

 とはいえ毎年お正月になると、Òやはり今日から息子には日本語だけを話そうÓと思い直し、「おはよう!」と声をかけてはみるものの、ÒWhatÕs that?Óと尋ね返されると、またもやくじけて英語にもどってしまうのが年中行事にもなっていった。その間に引っ越した土地は、イエローナイフ(北西準州)4年、ポートランド(オレゴン州)2年、キングストン(オンタリオ州)7年。いずれの町でも日本語を話す機会は、ほとんどなかった。

 ところが、小学5年生の時、通っていたフレンチ・イマ-ジョンの学校で、別の言語がわかることに興味を示し始めた息子は、生まれて初めて自分から「日本語もやってみようかな」という言葉を口に出すようになった。すでに10歳。日本語学校も日本人社会もない環境の中で、今からどのように日本語を教えていけるのかÉ?出てきた回答は『日本に留学させること』であった。

 最初は日本への留学を恐れていた息子も、話し合ううちに「行ってみたい」と望むようになり、カナダの学校が終わった6月末、主人と私は「かわいい子には旅をさせよ」の精神で、10歳の息子を京都府に住む兄の下に預けることにした。フランス語と英語の翻訳家である兄の下で暮らせることは、息子に少なくともひとり言葉が通じ信頼できる人がいるという安心感を与える意味でとても恵まれていたと感謝している。最初の3ヶ月は私も一緒に生活したが、言葉も習慣も全くわからない環境の中にいきなり飛び込んだ息子にとっては、途方もない荒療治だったにちがいない。毎日のように何彼につけ涙を流し、幼い子供のような後退現象を起こす息子を見て、主人も私もやはりカナダに連れて帰ろうかと迷ったものである。

 夏休みが終わり、2学期が始まって間もないある日、息子がいつもになく明るい表情で学校から帰ってきた。

「マミー、今日は学校の窓から広がる海や山を見ていて思ったんだ。僕はラッキーな人間だなぁって。こんなにちがった世界に来て、新しい言葉や文化を学ぶ機会が与えられる子なんてそんなにいない。こんなに美しい場所に住めるのもラッキー。マミーもダディーも、伯父さんも伯母さんも、学校の先生たちも友達もみんなみんな、僕にすばらしいギフトを与えてやろうって思ってくれているんだ。それを無駄にしちゃ申し訳けない。僕はやってみるよ。出来るような気がする。もうマミーはカナダに帰ってもいいよ。」

私は身の毛がよだつほど感動した。この子はやれるという確信をもらった。

 私がカナダに戻ってくると、予想通り息子は急速に日本語を吸収し始め、1ヶ月もすると、電話でも片言の日本語を話すようになった。クリスマスに主人が会いに行った時には、主人の通訳をして奈良まで2人旅もしたし、同級生の子供たちからも、もうお客さんとしては扱われず、喧嘩までするようになっていった。こうして、11ヶ月間の日本留学によって、息子はひらがな、カタカナ、一年生の漢字、小学6年生として生活するのに事欠かない程度の会話力を身につけて帰ってきた。言葉ばかりではなく、日本とカナダの教育や習慣の違い、子供たちの良い点と悪い点などを冷静にみつめ、分析、判断する目を養ってきたのにもびっくりした。

 カナダに戻ってきてからの課題は、せっかく学んだ日本語をいかに維持するかという問題であった。当時住んでいたキングストンには日本人は片手で数えるほどしかいなかった。日本語学校に行かせるためにオタワ(片道車で2時間)かトロント(同3時間)に毎土曜日通うことも考えた。私とだけ日本語で話していても語彙が限られてくる。日本語の本もない。このまままた日本語を忘れていくのではないかと心配し始めていた頃に浮上してきたのが、エドモントンへの引越しであった。北アメリカを東西南北何千キロも行ったり来たりして、引っ越すたびに、Òもう引越しはコリゴリ。この地に骨を埋めるÓと誓ってきた私たちであったが、大自然への憧れと、エドモントンには日本語学校があるらしい、という情報は私たちの「もう一度だけ、冒険してみようか?」という放浪精神を呼び覚ました。こうして、我ら家族3人・犬一匹は2004年の8月にエドモントンに到着したのである。

 9月に日本語学校が始まり、小学一年生に入学した息子は、『錆付いた車輪が回り出したような感じ』とまた日本語を聞いたり話したりできることに感激した。せっかく苦労して覚えた日本語だから、向上させるというよりも維持させていきたいというのが、息子の希望である。従って、中学一年生が、小さな子供たちの中に混じって勉強することに抵抗はなかった。むしろ一人っ子なので妹や弟ができたような気分で楽しんでいることが多い。ただ、カナダの学校で自由奔放に育った息子には、日本式の「きまり」が納得できなくて不満を訴えることは少なくない。日本留学中に息子が一番怖れた言葉は、『だめ』という言葉であった。大人も子供も『だめ』というこの短い言葉が、自由奔放に振舞っている息子の行動をピタリと止める効果があることに気づいて頻発した。しかし理由は説明されなかった。多くの場合は理由ではなく「きまり」であった。なぜ、枠外に模様を描いてはいけないのか。なぜみんなと同じようにしないといけないのか。カナダの学校では独創的と褒められてきたことが、またもや日本語学校では「やり直し」であったりしたことに肩を落としている息子の姿を見ながら、二つの文化の間を生きる子供の心の葛藤を見た気がする。

 日本語学校には、これから日本へ帰るためにその年齢に応じた日本語を習得しておかなければならない、いわばÒ真剣そのものの生徒さんÓから、カナダでずっと暮らしていくが、日本語を教養として、あるいはある程度使える言語として覚えておきたいというÒ補助的な目的の生徒さんÓまでいろいろあるように思う。そういう多種多様な目的と年齢の異なる生徒たちを教える先生方には、日本で一律の教師をしているのとは全く異なったチャレンジがあることと思う。

幸いエドモントンの日本語学校は少人数で規模が小さい。私は、今までにいろいろなグループが大きな組織に変わることによって、その真髄を失ってきたケースを数多く見てきたので、今のエドモントン日本語学校の「父母による運営」といわゆる「田舎臭さ」を大切にしていっていただきたいと願っている。また良い話し合いは、かしこまった会議の中でよりも、日常の和気藹々とした会話の中に生まれてくることが多いと私は信じている。そういう日常の出会いを大切にし、それぞれのニーズを本音で分かち合える関係を父母や教師の間で深めていっていただきたいと思う。

ともあれ、私たち家族は日本語学校の一員に加えていただいたことで、多くの方々と知り合い、関係を深めていく機会に恵まれたことを心から感謝している。日本語の勉強をするというだけにとどまらず、数少ない日本人が、「阿吽の呼吸?」でしか通じ合えないようなもどかしい部分も含めて、理解し合い、助け合って「私たちなりの日本」を生み出していく『日本語学校という家族』を形成していけたらすばらしいのではないかと夢見る私たちである。

 

日本に「住む」?!

                小林 麗

 エドモントンに移ってきてから12年余り、もみじや桜はもう写真でしか見れないものと半ばあきらめていたところに、突然日本行きの話が舞い込みました。東京の国立で6ヶ月間客員研究員をしないかって話が来たんだけどどうする、と主人が私に聞いてきたのが去年の冬。どうする!?どうするじゃないでしょ、早く二つ返事でご返事申し上げなさいと、とまどい気味の主人をせかす私の脳裏には、すでに懐かしい日本の風景が次々と浮かび上がってきていました。紅葉に染まった美しい山々、湯気の立ち上る鍋料理、私にあうサイズの服や靴を山と売っている店先、11時になっても閑散としてしまわない繁華街・・・。遊びに「行く」のではなく「住む」ことができるという展望に私の胸は期待でふくらんでいきました。話を聞いた4歳と6歳の娘たちも大喜び。去年の夏、日本に行った時、おばあちゃんの愛情尽くしでいい思いばかりした彼女たちにしてみれば、日本イコール夏のアイスと公園とテレビアニメに夜更し三昧の毎日という図式になるわけですから、それは楽しみなはずです。話を聞いたその日から、すぐさま「あと何日?」攻撃が始まりました。

 しかし、日が経ち、当初の興奮が落ち着くにつれて、不安が頭をもたげてきました。短期で遊びに「行く」時は平気でも、「住む」となるといろいろ問題もでてくることに気が付いたからです。まず、学生時代は親と同居、大学卒業と同時に日本を離れた私に、日本で一社会人として一家を切り盛りしていけるのだろうかという疑念。また、カナダでのびのび育った長女は、歯に衣を着せない性格で、その上、声がデカいときています。規律と統制を重んじる日本の学校で、先生方にしかるべく尊敬を示しつつ、きちんと適応していけるのかも心配です。長女とは逆におとなしい性格の次女は、とにかく人ごみが苦手。でも、世界の大都市東京で、人ごみが苦手なんて言っていられません。さらに心配なのはインド出身の主人の日本語です。十年近く前に、成人向け日本語コースを数ヶ月ほど取ったことはあるものの、「ビールを一本下さい」が言えるようになったところで、これさえ言えれば日本での生活には十分と勝手に決めて、やめてしまいました。彼の主張にも一理あるとひそかに思うものの、実際にはもう少し日本語ができないとやはり困るでしょう。

そんな心配をくよくよしているうちに、出発まであとわずか2ヶ月となってしまいました。こうなったら、後は運を天に任せて、行ってしまうしかなさそうです。少なくとも、子供たちの日本語に関しては、それほど心配せずにすんでいるのが救いでしょうか。「ドラえもん」を「ドゥラウェモン(dra-we-mon)」と言っていた長女も、日本語での話がややこしくなると「お母さん大好き」といってごまかしていた次女も、今では日本語の日常会話くらいなら何とかやっていけるくらいになりました。これは、日本語学校に負うところ大です。案ずるより生むが易し、いったん日本に行ったなら、子供持ち前の生命力と楽天主義で、すばらしい日本滞在にしてくれるに違いありません。主人に関して言うならば、がんばって語彙を増やして「ビールを一本と枝豆を一皿、それから揚げだし豆腐にサラダもお願いします。いやあ日本料理っておいしいですね。」くらいは言えるようになってほしいものです。せっかくあたえられたこの好機、一家四人で十分利用して、楽しい思い出をいっぱい作って帰って来たいと思います。それでは、みなさま、行ってまいります。

 

エドモントンでの3年間

                              谷 エレイン

3年前まで私は広島県呉市のBabcock Hitachi Engineering Corporationで働いており、そこでは主に発電に必要な蒸気を作るボイラ(高さ約60m)を支持する鉄骨及び建屋の設計業務に従事していました。

結婚後約10年間は仕事と家庭の両立で非常に忙しい毎日でした。カナダでは結婚後も仕事を続けることは当たり前の感覚かと思いますが、日本、特に地方都市である呉市、その中でも大半が男性社員で占められている設計会社という環境の中、家庭の制約を受け非常に窮屈な中で仕事を続けてきました。8時から5時までの仕事を終えた後、子供達を保育所に迎えに行き、夕食の支度、家事に追われ、週末は平日残った家事の残件に時間を費やしました。年休も全て子供たちの病気等の為に使いました。

では夫は何をしていたのか?と疑問を持たれるかたもいるかもしれませんので、一応弁解させていただきますと、夫も設計者であり、ほとんど毎日残業(カナダでも同じでしたが)でしたので、平日の手助けができるような状況でもなく、半ばあきらめていたところもありました。

ある日、主人から3年間カナダ・アルバータのエドモントンの近くにGENESEE発電所を建設する仕事で3年間赴任する旨聞かされました。昔から子供達には英語が話せるようになってほしいと思っていましたが、所詮日本に暮らしているうちは本物の英語を学ぶことは難しいと考えていました。今回の話は子供にとっても絶好のチャンスでもあり、私も少し疲れていたこともあって、キャリアを捨てることには少し抵抗がありましたが、最終的には仕事を止め、エドモントンに一緒についていく事にしました。

(その時はエドモントンがどこで、冬場の気候など知る由もありませんでしたが。)

  2002年5月22日、私たちはエドモントンにやって来ました。そして最初の金曜日、日本語学校に登校。その時愛香は小学3年生、涼太はプレイスクール。

それから毎週金曜日、疲れていても少しぐらい熱があっても、子供たちは喜んで毎週日本語学校に通いました。

彼女達は、毎日Earl Buxton Public Schoolでは英語漬けの毎日でしたが、その頃はまだ言いたい事が英語で言えず、日本語学校で友達と会い、話をすることが唯一の楽しみだったようです。日本語学校が終わると、急いで帰宅し、図書館で借りた日本の映画やテレビに没頭。(宿題は?)

それから約3年が経ち、発電所も完成し、帰国の日が段々と近づいてきました。今では子供たちは英語を(日本語よりも)苦もなく話せるようになり、友達もたくさんできました。Community LeagueのIndoor Outdoorサッカー、バスケットボール、野球や水泳も楽しんでいます。今では、日本に帰りたくない、ずっとカナダで暮らしたいとも言っています。

 子供たちが過ごしたエドモントンでの3年間、それは何事にも変えることができない一生の宝物になると思います。日本は平等、統率が最優先されますが、カナダでは個性が尊重されます。子供たちにはそれぞれのいいところを受け継いでいって欲しいと思います。

この場を借りて、校長先生、各先生方 又各役員の方々に対し、厚く厚く御礼申し上げます。数人、時には一人の生徒に対し一人の先生が受け持っていただき、本当にありがとうございました。普通では考えられないことです。特に愛香は最も多くの漢字を習う5年生の時期をカナダで過ごしましたが、お蔭様で帰国後も容易に日本の学校に馴染むことができると思います。

長い間本当にお世話になりました。これからも日本語学校の継続、発展を遠い日本の地からお祈りしています。

 

 

ダンウルド家にとっての日本語学校  16年の回想録

                                                                                             ダンウルド 節子

 2005年の新学期が始まり、末っ子の澪も最終学年の中学3年生に進級しました。私が「遥かなる道程」と思っていた日本語学校とのお付き合いもいよいよ佳境に入り、あと数ヶ月を残すのみとなりました。思えばカナダに来て、21年。その内、16年が3人の娘を持つ親として、日本語学校とかかわった年月になります。私のカナダでの生活史はこの学校なしでは語れません。

私の場合、子どもには絶対日本語が必要だと思っていましたので、「もしエドモントンに日本語学校がなかったら」で、話が始まります。エドモントンに日本語学校が存在していなかったら、私自身が子ども達に「日本語」もしくは「国語」というものを教えることになっていたはずです。しかし、今出されている宿題でさえ、子ども達が低学年の頃は、どうしてこれができないのかと感情的になって、子どもを泣かせたこともあった私が、他人の子どもには教えることができたとしても、到底自分の子どもには冷静に教える自信なんてあるはずがありません。私と子ども達の関係は最悪なものとなって、挫折していたことでしょう。このエドモントンという町に、ちゃんとした先生の下、教科書も頂き、その上、同様の立場の友達と一緒に勉強が出来るという環境があるということは、本当に幸運だったという思いでいっぱいです。学校内でのボランテイアなど、私にすればとても些細なことであり、それで学校が維持できるのなら「いくらでもさせて頂きます」という気持ちです。皆さんだってそうではありませんか。

子ども達が日本語を学ぶことにへのうちの主人の理解と、実家の援助とで5年に2回の割合で、3月末から8月末までのおよそ5ヶ月を日本に滞在させることができました。それで子ども達は、第1学期間日本の学校に通うという機会が、小・中合わせて、通算4回ありました。エドモントンは北米の補習校と比べてもかなりレベルが高いと以前から聞いていましたけれども、子ども達が中学2年に在学した時、日本語学校の学習力が発揮できた気がしました。学期末にもらった国語の評価は「3」でした。日本では「3」という評価は普通ですが、ここでの年39週、週3時間という条件の下では、私にはそれが大した評価だと思えるのです。実際語彙力にはかなりの差があるのは事実ですが、それでも日本での授業にはついていけます。日本の子どもと比べても国語力に差がないのです。ここでの学習レベルが高いということを証明していると思います。皆さんも自信を持って、先生方の指導の下で子ども達を学ばせたら、必ず力はつくと思います。

私はこの学校の創立時に掲げられた「子供達へ」という文章が大好きです。それにはこの学校を創った当時の親たちの、子ども達への切なる思いが込められていて、胸を打つものがあります。将来子ども達がそんな子に育ってくれたらと、私もはかない希望を持ったものです。しかし現実は厳しく、随分前にここを卒業した2人の娘達はその後、日本語とは縁のない生活を送っています。日本語は私との、いわゆる「母と子の会話」だけに成り果てました。他の方から「お宅は日本語と英語ができて、将来楽しみですね。」なんてよく言われもしましたが、現実はこんなものです。

特に上の娘は実際の日本での体験から、学校のあり方や子ども同士の付き合い方が肌に合わず、嫌悪してしまいました。こちらの高校や大学で日本人を見かけたとしても、自分に日本語ができるという素振りなど全く見せず、自ら進んで付き合うなんて思いもよらないようです。付き合うような機会があっても、「考え方が実に子どもっぽかった。」と生意気なことを言います。ステレオタイプ的な物言いになりますが(日本の子どもが皆と言うわけではないけれど)、幼くて全てを親掛かりでしてもらう為か、自己を確立していない子が多いのは否めません。日本で日本語を通して「日本」という実態を肌で体験した娘は、逆に「日本」というものを遠ざけてしまったのです。唯一日本語学校で10年間苦労を共にした4人の同級生と下野先生とのお付き合いだけは大切にしています。真ん中の娘は上の子に比べたら少しはましで、まんが・アニメ・ドラマが大好き人間ですが、外での生活は上の娘と同じようなものです。

日本語学校に通わせた結果がこれではと、若い親御さんは失望されたかもしれませんね。私自身、「あんなに子ども達の為に頑張ったのに」という思いに囚われたこともありました。私がふざけて、「将来君達の子どもにも私がバッチリ日本語教育を施してやろうじゃないか。」と言うと、娘たちは「É。」。

そんな私に日本語学校の先生方や常田先生は「今は子どもたちの日本語は親との会話だけに始終して、何の役にも立たないかもしれないけれども、もう少し見方を変えればいいのではないのですか。」とおっしゃり、常田先生が次のように私を励まして下さいました。「日本語学校へ10年間通わせたお蔭で、日本語の基礎はしっかり子ども達に叩き込まれています。今は役に立たなくても、長い人生の中で子ども達の内に変化が起こるかもしれません。もう一度日本語を勉強しようと思った時、ここでの10年の底力がものを言うでしょう。」と。

私も今はそのように前向きに考えています。子ども達が今よりもっと思慮深くなって、過去を振り返った時、ここで学んだ10年間が私からの目に見えない「遺産」だったと気付いてくれたらいいのです。今まで3人の子ども達が誰一人として「日本語学校での10年が無駄なことだった」と、私に面と向かって非難していないという事実が、私にとってはとても大事なことです。ともあれ、楽しくもあり、苦しくもあった日本語学校に10年ずつ通い続けたことは、結果、子ども達に大きな自信と誇りを与えてくれました。ありがとうございました。                       

 

 

Graduating from Japanese Playschool!

Jocelyn Hudon

It seems like a long time! Come to think of it, itÕs been a long time! Six yearsto be exact, accompanying my children to the Japanese Playschool week in, week out.

Sometimes out of necessity, as when my wife stayed home to teach my older girl (Anna) for a year, or most of the time for the sheer enjoyment of watching (and teasing!) the children. Or lend a helping hand whenever I could (like being treasurer for two years).

 

So the end of the last school year came with some trepidations, the realization that I too was graduating. A graduation of sorts. Graduating from Japanese Playschool! From chaperoning my young children. Maybe, now, I would finally have time to focus on my own study of the Japanese language!

 

I will have seen the playschool through the eyes of my wife, two of my three girls (Maya and Erika), as well as my own. My youngest child, Erika, almost grew up in the playschool, first as a baby in her parents' tow, then as an interested observer, finally as a full participant.

 

My dealings with the playschool go back to its very inception, starting with the musings of my wife, Yasuko Kaide, and a good friend, Sally Ito, a ni-sei/san-sei (now living in Winnipeg), who were concerned that children of international marriages - where only one parent spoke Japanese - or of parents of distant Japanese ancestry - ni-sei/san-sei, who didn't speak Japanese as frequently – probably weren't getting enough exposure to the Japanese language to be able to enter the Metro-Edmonton Japanese Community School (MEJCS) in later years.

 

And how were these children to be exposed to the Japanese language and all aspects of Japanese culture, including its many festivals, in a foreign land?!

 

So in 1998 Yasuko and Sally approached Mrs. Sanae Ohki, principal of the MEJCS, to discuss the possibility of forming a Japanese playschool-kindergarten class within the existing MEJCS. Mrs. Ohki, a staunch supporter, suggested that they recruit other parents, arrive at a consensus on expectations of such playschool, and develop a formal proposal to be presented to the board of the language school. A Japanese playschool would provide early childhood Japanese language instruction to Edmontonians, through educational activities and play, activities that young children like to take part in, while being surrounded by Japanese students. It might even help avert an expected future shortage of students at the MEJCS!

 

Though MEJCS supported the concept of a Japanese playschool for children of pre-school age, it was not going to be an easy sell! Indeed, the school board had serious reservations about having many young, excitable children loose on the school premises, with idly, grabby hands to boot, essentially accidents waiting to happen!

The committee ran a playschool on a trial basis from April to December 1999 and witnessed a strong participation and commitment by parent volunteers (as well as exemplary behaviour by the kids!). There was also a strong growth in attendance, to 13 regular students (from about 6 initially), by the time the experiment was over.

 

In part as a result of the playschool's initial success, in January 2000, the group of children was broken up into two groups: a group of 4 & 5 year old, and one of 2 & 3 year old (the playschool proper). Funds were procured from supportive groups, like the Edmonton Japanese Community Association (EJCA) and the Edmonton Workshop of Japanese Teachers, as well as individuals (like Mr. And Mrs. Kazuharu Shukuda), to hire a teacher (Mrs. Yaeko Hirano) for the 4 & 5 year old group as it was at the teachable level and the children were ready to be challenged, while the remaining 2 & 3 year old were instructed by parent volunteers.

 

The MEJCS subsequently incorporated the class of 4 & 5 year old class into its mandate: the MEJCS accepted these students and their parents as full members of the MEJCS.  The 2 & 3 year old class remained independent.

 

While the MEJCS remained strongly supportive of the playschool, and actively supported the efforts of parent officers of the playschool, unfortunately it was not able to provide seed money, material or resources necessary to start the program of 2 & 3 year old (in part because funding of the school by the Japanese government was dwindling in response to a decline in the number of Japanese nationals coming to Edmonton; of course this was before the school started its experiment with casinos!).

 

Some help came when Sally and Yasuko wrote up a detailed proposal to secure funds from the Endowment Fund Cultural Development Program of the National Association of Japanese Canadians (NAJC), backed by the EJCA, efforts that were rewarded with a $1,500 grant in November 2000 to help both the 2 & 3 year old and the 4 & 5 year old programs.

 

The newly acquired funds were quickly used to purchase numerous goods (CD players, carts, educational toys, musical instruments and a toy parachute) and resources (educational material from Canada and Japan) to jumpstart the kindergarten-playschool programs.

 

At first, parents of children in the playschool alternated presenting material (books, songs, etcÉ), preparing crafts, bringing home-made play-dough and providing other opportunities for children to interact in Japanese. For a short time early on, one of the grandmother even brought snacks for all of the children!

 

With the arrival of grant money, playschool parents were forced to organize, and they formed a board made up of a president, vice-president and treasurer. Starting in November 2000 (to about June 2001) a daycare teacher from Japan, Miss Emi Takahashi, kindly offered to teach the children, armed with countless songs, stories and activities. Collection of a small fee was initiated to help with the purchase of craft material, treats, etc..., and to support the teacher.

 

Over my years there the playschool was served by many dedicated parents (too many to name!) and teachers (including Mrs. Richardson and Yasue Suzuki), who very much loved the children. As many as 22 children attended the playschool in some years. The playschool moved from a gymnasium to a classroom, then a music classroom, then back to a gymnasium after the move to the new school, Richard Secord, from its beginnings in Westbrook School. In a sense it has come full circle.

 

In the process, it made great strides toward preparing children of international marriages (less so, children of Japanese descent) for Japanese school, arming them with a firm foundation in Japanese. Today, over two-thirds of students enrolled in the MEJCS came from the ranks of the playschool-kindergarten programs! A brilliant success, by any definition of the term. Interestingly, the playschool also met needs not initially fathomed by its instigators, for example becoming a popular destination for young Japanese mothers on temporary stay to Canada in need of socializing with other Japanese nationals. Yet, the steady flow of new young families proved tremendously enriching to the program, ensuring that Japanese be seen as a living and vibrant language.

 

And itÕs also been an eye-opener. Trying to preserve a language in a foreign land is hard enough. I know, because I am trying to preserve a language of my own (French). But to do it without, or with little, help from federal and provincial governments (which French receives), can be particularly taxing, constantly testing the will and dedication of parents. But itÕs clearly worth the effort!

 

IÕll be missing the little ones. I hope they donÕt turn this gai-jin away when he drops by. Long live the Japanese playschool!


 

 

 

 

 

 

 

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                            ★ 発 行 ★                                                                        

           エドモントン地区日本人コミュニティスクール後援会

                            会長 大沢 誠

                          2005年5月発行

 

                     ★ 連絡先 ★

                       Makoto Osawa

                    #206, 8728-103 St

                    Edmonton, Alberta

                     Canada  T6E 6K3

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