Text Box: 年報33号
  2009年4月-2010年3月
2010年6月発行

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Text Box: アルバータ州議事堂

 

 

Text Box: エドモントン地区日本人コミュニティスクール
Metro Edmonton Japanese Community School

 


エドモントン地区日本人コミュニティスクール

 

2009年度 年報 第33号

 

目次

                         

 

御挨拶・・・在カルガリー日本国総領事 嶺村 保雄 2

  

2009年度役員会の活動報告・・・後援会会長 守田 幸男  3

 

2009年度を振り返る・・・校長 坂口 宗 6

 

2009年度会計報告・・・会計 永田 順子 13

 

2009年度コミュニティスクールの歩み・・事務係 ダンウォルド 節子 14

  

親子で語る日本・・・ 黄 まゆみ  21

 

3年間日本語学校へ通って・・・今泉 純子 22

 

バイリンガル教育実践中・・・松原あゆみ 24

 

私のつぶやき・・・浅野 志保  26  

 

 子育ていろいろ・・・滝田 ひろみ   28

 

Decision・・・サラ ハンラハン 30

 

エドモントン地区日本人コミュニティスクールのビジョン  32


 

御挨拶

在カルガリー日本国総領事 嶺村保雄

 

新年を迎えたと思いましたら、早いもので4月も終わりに近づいています。

エドモントン補習校の皆様におかれましてはその後お変わりなくお過ごしのことと思います。 当地カルガリーはすっかり春の装いですが、州都エドモントンはいかがでしょうか。

今年は日本とアルバータ州との関係で言えば、歴史的な年になるのではないかと思います。 3月27日、エアカナダがカルガリーから成田行きの直行便(週3便)を就航させました。同日、カルガリー空港でシンディエイディ観光大臣の臨席の下、同就航を祝う記念式典が盛大に催されました。エアカナダの世界戦略の一環としてのアジアへの初めての直行便か東京に就航することになったことは、日本とアルバータ州との関係の重要性が反映された訳で、日本国総領事として大いに喜びを感じています。

今後、日本とアルバータ州との経済関係や人的交流がますます活発化すると思います。

5月下旬には、ステルマック首相がBC州及びサスカチュワン州首相と一緒に日本を訪問する予定です。アルバータ州の首相が現職として日本を訪問するのはこれが初めてです。日本とアルバータ州との関係はこれまで極めて良好に推移しており、また、経済関係も緊密ですが、ステルマック首相の訪日により、双方の経済関係は一段と高いレベルのものに飛躍するのではないかと思います。 

また、ご承知のように、アルバータ州と北海道は姉妹関係を締結し、活発な交流活動が行われていますが、今年は同姉妹関係締結30周年を迎えます。7月には、北海道からの大代表団がアルバータ州を訪問することが予定されていますし、その後も双方の人的交流が行われると聞いております。 カルガリー総領事館としては、このような記念すべき年に、アルバータ州との関係の一層の増進のために努力していきたいと思っております。

 

エドモントン補習校の益々のご発展をお祈りします。

 

 

 

 

 

2009年度役員会活動報告

 

                            後援会会長 守田 幸男

 

 

定例行事として、入学式(始業式)、書道教室、運動会、ヘリテージ祭、サマーキャンプ、北米教員研修会、学芸会、保護者研修会、弁論大会、年報の発行、作品集の発行、そして卒業式(終業式)と、様々な行事がありました。また、新しい取り組みとして、避難訓練とロックダウンの訓練も行いました。

毎月、全会員にE-メールで配信しているニュースレターには、保護者の皆さんのメッセージも掲載を始めました。当校ホームページ http://www.ualberta.ca/~tkin/MEJCS-index.htm で閲覧出来ます。

6月には、書道教室と運動会が行われました。書道教室は、金先生の指導の下、生徒全員が取り組み、作品は日本の書道コンクールに出品され、多数の賞を獲得しました。

運動会は、例年通りエドモントン日系人会(EJCA)の方々と合同で盛大に行われました。ただ、EJCAからの参加者が毎年減ってきている為、2010度から運動会は当校単独で行われる予定です。運動会を合同開催出来なくなるのは残念ですが、引き続きEJCAとの協力関係に変わりはありません。

EJCAが主催する夏のヘリテージ祭の日本館にも協力、参加しました。夏休み最終週のサマーキャンプでは、川で自然を体験しました。

10月にはデンバー補習授業校で開催された北米現地採用講師研修会に近藤、石川両先生が参加されました。

11月の学芸会では、生徒達ののびのびとした演技が見られました。

6月に避難訓練、2月にロックダウン(不審者が侵入した場合の避難)訓練を行いました。初めてにしては良く出来たと思います。両避難訓練は、これからも毎年行う予定です。

3月の弁論大会は、先生方、及び父兄の尽力により滞りなく執り行われました。1ヶ月以上練習してきた、中2、小6の生徒達の興味深い弁論が聞けました。

教師会、保護者、役員会、皆さん全員のご協力で無事終える事ができました。改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。

おかげ様で子供達は、1年1年着実に日本語能力を身に着けており、喜ばしい限りです。小学中学と日本語学校を続けていく事は、家庭内での宿題やボランティアなど、親子とも大変な努力を必要とします。それを乗り越えて卒業していく子供達にとって、この補習校で学んだことは、将来きっと為になると信じています。

役員の一人として、2009年度も全ての行事を無事終える事が出来た事に一安心しております。

2010年度も、子供達が楽しく、充実した学校生活を送れる様、関係者全員のご協力を宜しくお願い致します。

最後になりましたが、カルガリー総領事館、EJCA,海外子女教育振興財団の方々には、多大な御支援を頂き、誠にありがとうございました。

卒業式


2009年度を振り返る 

 

                                                                校長 坂口 宗

 

 

2009年度も無事各学年の一年間の教育活動を完了いたしました。2009年度は、校長、副校長が最初からそろってのスクールイヤーを迎えることができました。校長なしの2008年を思うと何とも学校らしくスタートできたのではないかと思います。いろいろなことがあった一年でしたがこうして終わってみると、充実した補習校生活が送れたように思えるのは,保護者の皆様、役員会の皆様、そして教師陣皆の頑張りによるものであったことが言えると思います。皆様、心よりお礼を申し上げます。
今年度は、校長、副校長が最初からそろっていたこともあり、新しい試みをいろいろ取り入れました。それにより、授業自体の質向上、補習校の活性化が少しは図られたのではないか、そう思っています。この『新しい試みをする』という言葉から『変革』『改革』などを想像する方もいらっしゃるかと思いますが、そうではありません。エドモントン補習校が三十年以上にわたって培ってきたもの、引き継がれてきたものそれにさらにプラスアルファしてということです。ここで始めた試みが長きにわたって、大げさにいえば次の世代につながっていけたらなと思っています。2009年度一月のニュースレターにて、補習校に対する見解を校長としてということよりむしろ教師として長くかかわってきた立場として述べさせていただきました。ここに、その言葉をもとに教育活動に、関わっていき、そして関わり続けていくことを今一度記させていただきます。Ò継承語としてのむしろ日本語教育的な国語教育なのか、帰国のための国語教育なのか。校長になって一年経ちましたが、私は、この二つを両立させることは可能だと信じています。つまり、日本でおこなわれている国語教育としての水準を保ちながらも、カナダでこのまま成人していくかもしれない生徒の大切な継承言語教育の場であり続けるということが、言い方を変えれば教科書を題材の中心とし国語教育としての水準を保ちながらも、継承語教育としても最大限配慮していくということが...難しいことかもしれませんが、案外そうでもないかも知れません。エドモントン補習校は実は、ここまでその流れで頑張っていると思います。とにかく、それができるものだと信じ、それを念頭に私自身は、教師会の中心にあり続けようと思っています。

 

 

 

 

2009年度を少し振り返ってみましょう。

 

一、2009年度から新たに取り入れられた教育的取り組みについて

①一日エドモントン補習校教師研修会
今年度から、毎月の教師会でのミニ研修会に加え、年二回の一日研修会を行うことにしました。毎月の教師会、そして毎週の補習校だけでは、教師間でじっくり教育について情報交換、意見討論をする場がありません。この試みは、教師のそういった場を設けるだけでなく、教師の教育に対する目的、意欲を高める機会として大変効果的で貴重なものとなりました。以下のようなプログラムを組んで行われました。

-第一回一日研修会
44日 WP Wagner High Schoolにて

¥         クラスにおける効果的な辞書の活用法                  講師 山田先生

¥         クラスにおける効果的なビジュアルサポート        講師 坂口

¥         年度及び前期授業計画                                           (グループワーク)

¥         補習校への教師全体の取り組みについての討議


‐第二回一日研修会
123日 WP Wagner High Schoolにて

¥         JFLの視点から                                                       講師 アルバータ教育省 永富先生

¥         日本での国語科指導の実践                                   講師 左舘先生

¥         デンバー北米西部地区日本と補習校現地採用講師研修会報告、

並びに授業案、指導案の提案                    講師 近藤先生、石川先生

この場で提案、議論されたものはすべてその後の補習校の各クラスで取り入れられています。

 

②辞書の達人
上記の一日研修会にて、担当講師が立命館小学校の校長の付箋を使った辞書活用法の研修に参加した体験をもとに検討、全体議論。五月より中学年で実施。 主に、二学期からは全体的に小学校を中心に。方法は単純に、辞書を使って調べる度に付箋を貼っていくということですが、付箋がどんどん増えていく楽しさから、積極的に辞書を使う姿が見られるようになりました。

 

③プロジェクター等を使ったビジュアルサポートを取り入れた授業
我々が『わかって当然』『知って当たり前』と思っている日本文化、日本的な表現、語句などがこちらで生活している子どもたちにとってそうでないケースが多々あるものです。そういったギャップを埋めるために、もしくは文化的背景のより理解を進めるために積極的に取り入れていくことをより薦めています。

 

④避難訓練
エドモントン補習校は、既に常に学校の鍵を閉めて名札確認という安全対策をとっていますが、それに加え火災訓練とロックダウンという学校全体で取り組む避難訓練を行いました。補習校は保護者の方も一緒になっておこなわなければなりません。そういった面ではなかなか大掛かりになってしまいます。でも、万が一のためにこれからもしっかり取り組んでいきましょう。

 

⑤小学校課程修了に対する卒業証書授与・修了式の歌導入
ここエドモントンで、現地校に通いながら英語またはフランス語の勉強、宿題をする。同時に補習校に通い日本語の宿題もする。考えたら、子どもたちは本当に頑張っています。6年生を修了するということは大変なことです。そのことをしっかり認めてあげたいということで遅ればせながら2009年度よりおこなうことにしました。また、式では皆で合唱をするという試みもいたしました。皆で歌った『Believe』大変感動的でした。涙が...といった方も私だけではなかったはずではないでしょうか。

 

⑥その他
そのほかにも、授業参観の年二回実施、三学期始業式なども行いました。

これらは、2010年度からも引き続き行われていくものばかりです。

 

二、宿題ワークブック、あかねこの定着について


2008年度より導入しましたこの宿題方式は、すっかり定着しているようです。提出前の家庭でのチェックをすることを再度お願い申し上げます。この作業がありまして初めて教育効果満点の宿題と言えるでしょう。この宿題の方式にすることにより、各担任もそれに付属する形で自由研究の宿題、課題に基づいた作文の宿題、リサーチプロジェクトなどクラス独自の課題に取り組むなどバラエティも広がったようです。

 

 

 

三、書道、学芸会、弁論大会などの諸行事について


2009年度の習字教室は、金先生の指導のもと体育館でおこなわれました。正座をして「書き初め」をするように行った今年の習字教室、いつもに増して真剣にそしてのびのびとやれていたような気がします。また、今年も大成功だった学芸会。ここ二三年、セリフを忘れる、舞台上でパニックに落ちる等のハプニング?が全く見られなく相変わらずレベルの高い学芸会だったと思います。例年述べていますが、国語教育に特化されているわが校にとって、こういった諸行事は大変重要なものです。読み、書きがメインのクラスではなかなか味わえない経験が、子どもたちを、そしてクラス全体を更なるレベルに引き上げてくれていることは明白です。来年度はどのような学芸会になるのでしょう。ただ、来年度もしっかり劇ができようができまいがこの行事をきっかけに自信のあふれる顔の子どもたちでいっぱいになることには間違いありません。この行事をきっかけにこれ以上ないまとまりを見せ補習校の学習に熱中する子ども達、補習校の中でも重要なそして大切なものです。弁論大会の方は、中学二年生4人、六年生9人の計13人、そして見学の5年生という久方ぶりに大きな大会となりました。今年も内容、弁論ともに大変レベルの高いものとなりました。ただ、来年はもう少し内容を暗記して弁論できるようになれば弁論自体がさらにもう一歩質が上がるのではと思っています。頑張ってください。また該当の学年にお子様がいない保護者の方々もぜひ参観していただきそのレベルの高さ、内容のユニークさ、深さに驚き、そして感動して頂きたいと思っています。

 

四、Richard Secord 校との関係について


補習校が使わせてもらっているRichard Secord校(以下RS校と略します) とは、今年もおおむね良い関係を続けているといってよろしいかと思います。RS校の校長には、避難訓練のアドバイス、休み時間の見回りなどいろいろご厚意でお手伝いをしていただきました。学芸会には、カストーディアンの方にもいろいろお手伝いをしていただきました。お互い気持よく過ごすためにも、学校の使い方など基本的なことにも気配りをすることを忘れないでください。残念ながらまだ苦情は来ております。

 

五、日本国内、エドモントン、アルバータ州からのサポートについて


この補習校は日本の文科省の教育指導要領に沿って日本語という言語を国語として勉強していくことで生徒の語学力を伸ばすことを目標にしています。とはいうものも、そのために日本からの援助のみならず、エドモントン市から、そしてカジノを通じてアルバータ州から様々な援助、サポートを受けてその活動が維持されています。それらの通常の援助に加え今年は特別に国内からデジタルサポートの教育的利用援助ということで三十万円相当の器機を寄贈していただきました。

2009年度は、大変悲しい出来事もありました。年長組で頑張っていた岩川華ちゃんと、一年も満たない闘病生活の末、318日、永久にお別れすることとなりました。校内に笑顔を振りまいて闊歩していた彼女の姿を忘れることはできません。ご冥福を心よりお祈りいたします。彼女の前向きな姿勢と笑顔は、ずっと私達の心にあります。また華ちゃんのお母様の岩川先生には、教師会の一員としてもエドモントン補習校の発展に力を貸していただいていました。残されたお母様の岩川先生、お父様のカムランさん、弟さんのそら君におきましては今後もご家族お力をあわせて一日も早くお悲しみから立ち直られますようにお祈りしております。

2009年度を終え、2010年度は生徒数、教師数、クラス数すべて2009年度を上回ることが予想されています。ますます発展するエドモントン補習校、期待値もますますアップですね。校長以下、教師会一丸となってますますの教育の充実に努めていきます。皆様の温かい関わりあいよろしくお願いいたします。

 

 

 

 運動会


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

弁論大会


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                             運動会

 

 

 

 


2009年度コミュニティスクールの歩み

 

事務係 ダンウォルド節子

 

 

<入学式・始業式> 4月9日(木)

    総数73名の生徒が登録した。(幼稚科年中組11名、年長組9名、小学1年生9名が入園・入学)

    幼稚科年中組・小学4年が2学級編成となり、中学1年・3年のクラスを除く11学級が編成された。

    今年度も引き続き、プレイスクールが父母有志の手で運営された。

<2009年度年次総会> 4月9日(木)

会長         守田 幸男  

副会長      ブルース ロバートソン  ジャクソン 好子

会計         永田 順子

書記         フランキウィズ 祐子

評議員      山本 千恵子  マンゼイー 美香  

図書係      クィンター 久美子 

事務係      ダンウォルド 節子 

<学年懇談会> 4月24日(金)〜 5月1日(金)

    1年間の各クラスの方針を伝え、担任と父母との話し合いをもった。

    学年代表を選出した。

<日本語大人クラス > 5月1日(金)〜6月19日(金)

    星真由美先生のもとで、初心者から初級者対象の大人クラスが9回持たれた。 

< 第1回保護者研修会> 5月15日(金)

    家庭でどのように子供に日本語を教えているのか、ベテランの父母たちの失敗例も含めた体験談を中心に、年少のお子さんたちを持つ父母たちを交えての勉強会を行った。

<授業参観> 5月22日(金)〜5月29日(金)

    今年度より授業参観を年2回行うことした、その第1回目。1年間子供たちが過ごすことになるクラス、担任の様子を見てもらった。

<デボニアンガーデン春の祭典 > 6月7日(日)

    ボランティア活動の一環として、役員会がボランティアを募って参加した。

    当日は会場でヨーヨーを売ったり、折り紙の折り方を教えたり、竹馬に乗ったりと、日本文化の紹介に努めた。

<ピクニック運動会> 6月13日(土)

    さわやかな天候のもと、例年通りエドモントン日系文化会館でエドモントン日系人会(EJCA)と合同運動会が盛大に行われた。

    ラジオ体操から始まった借り物競争,徒競争、綱引きなどの競技とゲーム、EJCA有志によるバーベキュー、参加者によるポットラックランチ、ビンゴー大会と、楽しく過ごすことができた。

<避難訓練> 6月19日(金)

    日本語学校発足以来、初めての避難訓練が行われた。

    各クラスの担任の指示に従い、生徒たちはスムーズに行程通りに避難でき、無事に終了した。

<1学期終業> 6月26日(金)

<焼き鳥作り> 7月25日(土)

    ヘリテージフェスティバルの準備の一環として後援会、日系人会会員を中心に焼き鳥を作った。

<ヘリテージフェスティバル> 8月1日(土)〜3日(月)

<サマーキャンプ> 8月24日(月)〜27日(木)

    4回目のサマーキャンプ、今年度は26名 の参加者で行われた。

    テーマを「森と植物と動物を知ろう」とし、自然について様々な体験学習を行った。

<2学期始業> 9月4日(金)

    生徒数80名

<習字教室> 9月4日(金)

    金紀子先生指導のもと、小学1年から中学2年の生徒が、第77回全国書画展覧会の課題に取り組み、出品した。後日、展覧会実行委員会より特選1点、金賞2点、銀賞22点、銅賞26点の賞状が届いた。

    作品は3月発行の作品集に載せた。

<北米西部地区現地採用講師研修会> 10月23日(金)〜25日(日)

    デンバー補習校で開催され、本校からは2名の教師 (近藤 ・石川)が参加した。

<みんなの作品集 夏号> 10月30日(金)

    クラス文集として、各クラスで作成し発行した。

<学芸会> 11月28日(土)

    幼稚科年中組から中学2年までの全クラスが参加し、プレイスクールの子供たちも発表した。

    学年代表を中心に、準備・運営された。

    茶話会の茶菓子は、学校側で準備した。

    今年度は、父母のライバック純子さんが子供たちのために、特別に琴を演奏してくれた。

 

プログラム

 

1.       はじめのことば                                        ジャクソン ジャズミン

2.       後援会会長あいさつ                                            守田幸男    

3.       校長あいさつ                                                      坂口 宗

4.       劇「やぎのがらがらどん」                                                幼稚科年中組

5.       劇「きんのがちょう」                                            幼稚科年長組    

6.       劇「きたかぜとたいよう」                                  1年

7.       劇「ふたりはいっしょ」                                     2年

8.       劇「森のみんなときつつきの商売2009」     3年 

9.       遊戯「あくしゅでこんにちは」ほか         プレイスクール   

10. 琴の演奏                     ライバック 純子

11.  劇「注文の多い料理店」              4年1組

   12.  劇「わらって」                                                  4年2組

13.  劇「スンデレラ」                 5年

14.       劇「白雪姫と6人のティーンエィジャー 呪いの鏡の巻」6年

15.       劇「3匹のこぶた リーミックス2 ウルフの逆襲!」中学2年

16.       おわりのことば                     ヴァン勇飛

 

<個人懇談会> 12月11日(金)〜18日(金)

    各学級で日頃のようす、及び進級に関する話し合いをした。

<2学期終業> 12月18(金)

 

<3学期始業> 1月8日(金)

    生徒数 83名

<第2回保護者研修会> 2月5日(金)

    アルバータ州教育省に出向中の富永あゆみ先生をお招きして、「家庭内に潜む罠、消え行く日本語」というタイトルでお話を伺った。セミナーの後、富永先生と父母たちと質疑応答を兼ねた茶話会をもち、意義ある会となった。

<授業参観> 2月12日(金)〜19日(金)

<避難訓練(ロックダウン)> 2月24日(水)

    侵入者に対する避難訓練として、ロックダウンを行った。

<1日入園、1日入学> 3月5日(金)

    年中組10名、年長組14名、1年生10名の入園、入学希望者を対象に行った。

<ボランティアデイ> 3月5日(金)

    この1年、たくさんの父母有志からの協力で無事学校行事を終わらせることができたことへの感謝の気持ちとして、役員会がスタッフルームで茶話会を催した。

<弁論大会> 3月12日() 

     優秀賞 :クィンター美歌(小6)「音楽は心の薬」

<みんなの作品集> 3月26日 (金)

    全校文集として編集され、各家庭に配布した。今年度は教師が原稿作成まで担当し、編集は保護者が行った。

<終業式> 3月26日(金)

    坂口校長から83名の生徒に在学証書が授与された。

    5名の生徒に皆勤賞が贈られた。

    小学校卒業証書が9名の生徒に授与された。


 

 

<2009年度教師・生徒名簿>

幼稚科年中うさぎ組(前半) 浅野志保先生

     

      岡田晃太郎  ソィヤー ケィティー  バギース愛  ハミルトン メガン

       

      マロン倫輝  小林 凛  山田えりか   根本 瑛

 

幼稚科年中りす組(後半) 浅野志保先生

 

      岡 朋希  坂口 響  中津泰門  ヴァン翔智  星 おり音

 

      スワロー理紗  ハンラハン ゼン  ウォン麗月

 

幼稚科年長組  田中亜美先生

 

      朝居タイラー  岩川 華   宇野公輔   黄 諒太朗  

 

キャンベル ソフィア 酒井二奈  滝田彩乃  堀 日菜多  

 

増田鳳太郎  ライバック玲奈  ハランハン キーガン

             

小学1年  元田幸子先生

 

岡 浩平 高 サラ   近藤魁真   酒井慧莉香   永田 花  

 

中津詩門  マンゼィー栞菜   山本愛奈   吉村奈美   根本杏珠  

 

松尾美咲 タマボンザ アルビン  パク ケビン 

 

 

小学2年  近藤 玲先生

 

キャンベル太華  キャンベル ライアン 金 里加   佐伯尚美  

          

鍾 蘭  ヒューストン ブラッドリ  フランキウィズ ニコール

 

松原彩良  守田響子   渡辺はな  ランドル スティーブ  

 

ビーティー アンドリュー  

  

小学3年  金 紀子先生  

 

伊藤大志  小林真矢  近藤ゆり愛  阿部みあ  王 ポプラ

 

スワロー アレック   開出恵立佳   松尾麟太郎

 

 

小学4年1組  角谷淳子先生

大久保果也乃  フランキウィズ ジェシカ  元田 怜  守田流佳   

 

山田玲奈

 

    小学4年2組  山田眞理先生

 

ヴァン隆誠   金 加奈   星 まりあ  増田麟太郎   山本ニコラス 

 

ロペス美づき  ランドリー友貴

            

小学5年  今野 光先生(9月まで)  左舘理恵先生(10月より)

 

ヴァン勇飛   小林宇奈   ジャクソン ジャスミン  ランドリー貴明

小学6年  岩川友紀先生(6月まで)  石川比奈子先生(9月より) 

 

伊藤真理奈   開出真与  クィンター美歌  ジャクソン マーカス 

    

フェドロー優子   李 賀菜  ロペス菜つみ   山田花鈴   滝田圭央

 

渡辺健太     

 

中学2年  坂口 宗先生   

 

伊藤勇希  金 力蔵  大場 蒔   王 芸蓉  ザバルスカ スザナ

 

   

 


親子で語るÒ日本Ó

黄 まゆみ

 

最近読んだ機関誌の記事の中に「胎談」というものがあった。よく言われる妊娠中の胎教についての話である。

お腹に居る胎児への語りかけ、それを「胎談」と言うらしい。効果としては、

Ò好奇心の強い子になる。ÓÒ言葉を話したり理解する能力がつく。ÓÓ親子の絆が強くなる。Ò

Ó親に特別な愛情と信頼をもつ。Ò らしい。初めて耳にする様な話でもなく何気に読み流していたが、それは「胎談」に始まり、「対談」となって継続的であるもの。そして親子の間のみならず夫婦、家族の間では不可欠なものであると私なりに解釈した。 

今年四月から補習校では小学一年生となった長男は、毎週金曜日の夜を厭いながらも、必ずと言っていいほど学校からの帰宅後、就寝するまでの間に、クラスでの出来事や学習した内容などを事細かに報告してくれる。普段彼の日本語はかなりおぼつかないのにも拘わらず、金曜日の夜だけはそれが些か流暢に思える。何よりも喜ばしいのはÒ日本Óについての対話が持てることである。

「おだいりさま ってだれ???」

「!お内裏様??!!お雛祭りのこと勉強したの? 

今度日本に行ったらおばあちゃんに頼んで、ママのお内裏様見せてもらおうね!」

実は普段から日常雑務に追われ、恥ずかしながら桃の節句のことなど少しも念頭になかった私である。

少々大袈裟かもしれないが息子とのこんな「対談」を通して親子の絆、それも民族的な絆を感じる。彼が学校で日本語をどれ程習得しているかはともかく、この地に暮らし、日系二世である彼らを育てていく上でこの補習校が与えてくれる文化的な刺激は貴重である。出来れば彼らの背景にあるいくつかの文化を体得し、将来有意義に役立てて欲しいと切望している。

「ママ、また今度日本に行ったら忍者に会いたい!!」

私は奈良に生まれ育って ÒりかちゃんÓよりも ÓバービーÓが大スキだった。息子はここエドモントンに生まれ育ち ÒスパイダーマンÓよりも Ó忍者Óに憧れる。そんな彼がどこか誇らしい今日この頃である。

 


 

3年間日本語補習校に通って

今泉 純子

 

 私には5歳と7歳の娘がいます。下の子が生まれて生後1カ月でマニトバ州のウィニペッグからアルバータ州のウィタスクウィンという、エドモントンから70㎞南にある町に越してきました。エドモントンの日本語補習校には長女がプレイスクールの時から通っていますが、冬は暗くなるのが早いことや、悪天候を理由に来ませんでした。それでも、子供達も私もお友達にあって、先生と日本の歌を歌ったり、本を読んでもらったり、クラフトをするのが大好きでした。

 この2年間は年中、年長クラスとなって授業を受けているのでできる限り、来ています。これからようやく本格的に日本語補習校に参加していくわけですが、この3年間で感じたこと、通ってきて良かったことをいくつかお伝えしたいと思います。

 年中クラスが始まって半年過ぎたころでしょうか。日本にいる母が、長女の日本語の上達ぶりに驚き始めました。電話で会話ができるようになったと、大喜びでした。そのころから、ひらがなを書こうとし始めたように思います。また、日本語を話すことができるのは特別なことで、ちょっと恥ずかしいけれど、嬉しいと思い始めたようです。

 今は私が娘たちに話す言葉は基本的に日本語ですが、娘たちは小さなころから英語が第一言語でした。引っ越してくる前はグランマとグランパも近くに住んでいて、毎日のように会っていたことや、長女が言葉を話しだす3歳前ごろから近所の子供を私がベビーシッターしていたせいでしょうか。私自身も英語が話せないからこそ、英語を話さなければ、という気持ちもあったと思います。娘たちにも英語を使ってしまうようになり、気が付いたら、次女は日本語をほとんど話しませんでした。それでも、日本に5,6週間行くと、戻ってくるときには日本語を話します。月に2,3回は日本のおじいちゃんやおばあちゃんと電話で話します。話しをすることが大好きな次女は、日本語も英語も交じって話しています。2ヶ国語をきちんと話すためにはしっかり区別するべきといいますが、私たち全員、カナダ人の夫も含めてまぜまぜで話しています。これではいけない!と思うのですが英語で話していれば日本語の単語が途中で入り、文末には「でしょ?」や「だよね。」をつけてしまいます。また、日本語で話していれば言葉の1つ、2つが英語になってしまいます。

 そんな私たちにとって日本語補習校は非常にありがたい場所です。金曜日の学校の帰りの車内は、一番きれいな日本語会話をする時です。子供達も自然に日本語で話をしようとします。

 補習校では、年中クラスから宿題が出ます。量は少ないのでたいてい1日で終わりますが、プレイデイや習い事があるために○曜日は「宿題の日」というように決めて、その日に必ず終わらせるようにしました。絵を描くことが好きな娘は「絵日記」の宿題が大好きです。今、長女は現地校ではGrade 1で、宿題もまだそんなには出ませんが、定期的に「Home Journal」いわゆる、「絵日記」が出ます。出た時は、やりなさいと言う前に、終わらせています。他に宿題が出ても同様です。日本語学校の宿題に比べたら量も少ないし簡単だもんとのことです。これは私にとっては信じられないことです。勉強はやりなさいと言われて渋々やっていたのに、私の娘なのに!という心境です。

 この他に、夏休み中に行うサマーキャンプにも参加しましたが、その時にびっくりしたことがあります。それは日本語補習校に通う子供たちの偏食の少なさです。みんなで、美味しそうに、嬉しそうに「給食」を食べる姿を見て、感心しました。うちの場合、よく食べるほうだと思いますが、食べたことがないものや、ソースがかかっていると食べないといったことがあります。でも、お兄さん、お姉さんたちがおいしい!と言って食べる姿をみて普段だったら絶対に嫌がるものも、残さず、食べていました。私は当たり前に給食を食べて育ちましたが、娘にとっては公共の場で皆が同じものを食べるのは、初めてのことであり、いい意味のショックを受けたようですし、私も改めて給食の楽しさや、重要性を感じました。

 この他にも、運動会や学芸会、といったイベントを楽しんだり、日本で季節ごとに祝う年中行事のことを習ったり、クラフトを作ったりすることによって、日本文化や伝統を教わっていることはありがたいなと思います。日々の生活やカナダのイベントに大忙しで、気が付いたら節分もひな祭りも終わっていた我が家には、補習校に通うことは必要不可欠な気がします。これから、宿題も増え、漢字を習い始めるとさらに子供にも親の私にも重荷に感じ、くじけそうになるかもしれませんが、この3年間で得られたプラスな面を心に置き、通い続けていけたらいいなと思います。


バイリンガル教育実践中       

                  松原あゆみ

 

エドモントン補習校では、この春で3年生になった長女とプレイスクールで2歳の次女がお世話になっています。常夏の島・沖縄から、極寒の地(少なくとも沖縄ではそう思っていた)・エドモントンへやってきて早2年が経ちました。沖縄の前はロサンジェルス。気候の良いところで住んでいたこともあって、ここエドモントンでは、「どうして、そんな温暖なところから、こんな(寒い)エドモントンに?」と聞かれ続けています。理由はいくつかありますが、その答えのひとつに「娘たちのバイリンガル環境のため」が挙げられます。

英語はもちろん、いろんな国のことばが話せたら、どんなに楽しいだろうÉと憧れていたこともありますが、子どもたちをバイリンガルに育てられる環境を整えられたらÉと常々考えていました。そしてアメリカで長女が生まれ、日本人家庭でどこまで子どもがバイリンガルに育つかÉという我が家のチャレンジが始まりました。

日本人家庭なので、もちろん家庭での会話は日本語。これではアメリカに住んでいるとはいえ、幼い娘の言語環境は日本語のみÉということで、娘が生後2カ月半のとき、デイホームへフルタイムで通わせることにしました。こうして、娘は家庭内では日本語、デイホームでは英語という生活が始まり、おしゃべりを始める1歳前後では日本語と英語をちょうど半分ずつ話していました。デイケアで覚えてくる英語の表現は、日本で英語を「教科」として習得してきた私たち夫婦にとってとても新鮮だったことを思い出します。

娘が2歳になる直前、日本へ帰国。住んだ場所が沖縄という土地柄、米軍基地に駐在するアメリカ人の子どもたちを対象にしている保育園が多くあるため、アメリカにいたときと同様、家庭では日本語、保育園では英語という環境を保つことができました。さらに日本語に関しては、私たち夫婦だけでなく、周りの人たちも日本語を話すので、帰国時には日本語よりも英語を多く発していた娘も、日本語の語彙力が急に伸び始めました。ただ、保育園にいる時間が1日8時間以上。彼女自身は日本語よりも英語の方が得意だったように思います。

その後、彼女の就学期が近づくにつれ、娘の英語力を保持するために何ができるかと考えるようになりました。日本の小学校に通わせ、アフタースクールの英語プログラムを利用するか、インターナショナルスクールに通わせるか、それともいっそのこと英語圏へ。

Éとやってきたのが、このエドモントンでした。

エドモントンでの生活が始まり、もともと英語が得意だった娘は、こちらへ来て1カ月を過ぎるころには、私たちへの受け答えもすっかり英語になってしまいました。この時になって初めて、私たちの母国語である日本語学習の難しさを痛感することになりました。そんな頃通い始めたのがエドモントン日本語補習校。現地校やお稽古事をしながら、家庭での宿題を進めていくのは大変ですね。毎週、娘を泣かせながら(笑)やってます。自分でも「こんなに怒りながらやらせて、日本語が嫌いにならないだろうか」などと不安になりつつも、なんとか2年が過ぎました。娘に言わせると宿題はとても難しいけど、日本語学校へ通うのはとても楽しいのだそうです。そして、日本語補習校に通い始めてから、特に話しあったわけではないですが、娘は日本語と英語を混ぜないように意識し始めました。日本語補習校へ通っていなかったら、今頃娘は日本人でありながら、少なくとも日本語を読むことはできなかったでしょう。日本語補習校に感謝です。

今年度はみんなが恐れる(?)「3年生の壁」。

今年はどんなバイリンガル成長をしてくれるのでしょうか。

そして、今日も泣きながらの「宿題」を終え、明日は日本語補習校のある金曜日。

これからも我が家のバイリンガル教育は続きますÉ

 

 

 

習字教室
私のつぶやき

浅野 志保

 

 

 日本に短期帰国の為、教師を辞める事になった。はじめに、3年間、教師として、素人の私を助けてくれた、素晴らしい保護者の方々と教師の方々にお礼を言いたい。3年経って、やっと自分が子供たちの為にできる事、子供達に伝えたいことが少し解ってきたような気がするのに、ここで辞めるのは本当に申し訳ないと思っている。3年間、年中組のかわいい生徒達を相手に、楽しい時間を過ごしてきたが、いろいろと大変な事も、考えさせられる事も一杯あった。自分なりに精一杯やってきたつもりだが、やっぱり、私ではなく本物の先生がするべきではないかという気持ちは心の底にいつもあった。こんな教師だったが、この3年間が、どうかすこしでも生徒達の為になっていたと願いたい。

今後は保護者として、まず自分の子供を指導しなくては、、、。教師をしている間は、子供の宿題より、自分のクラスの授業の方が大事になってしまい、子供達には少々悪いことをしたと思っている。これからは、いろんな面でもっと、自分の子供に力を注がなくては。子供はあっという間に大きくなってしまうから。子供達が親の方を向いている間に一杯向き合っておかないと、そのうち、見向きもしてくれないようになってしまうのだろうから。

ライアンが年中組に入園したのはもう4年前の事。我が家での会話は英語だった。日本人の友達も一人しかいなかった私は、日本語学校の存在を知るのが遅すぎた。わずかな単語しかわからないライアンを初めて日本語学校に連れて行った時、プレイスクールで他の子供たちが日本語でペラペラ話す姿を見て、ある意味、ショックを受けた。年中に入園させようと思い、初めて子供に日本語を話させようと思ったのだ。でも時は既に遅かった。年中に入ってから、日本語の本を読むようになり、しりとりなどで語彙は増えていったものの、私と英語で話す習慣はまず抜けない。これは、今でも継続する問題だ。

 子供が小さいときの会話は比較的単純で、子供と日本語で話す重要性が感じられなかったが、だんだん大きくなって、複雑な事柄を話すようになると、やはり英語では伝えられないニュアンスがある。何か困ったときも日本語だとÒまっ、いっか。Óと2人で深刻にならない雰囲気を作れたり、子供を怒る時の怒り方にもバリエーションがでてくる。私にとって子供との関係をもっと上手く作れるのは、 やはり日本語なのだと気づく。もし、もっと前に日本語学校の存在を知っていたら、子供が日本語で遊べる日本人の友達がいたら、もっと早くから子供に日本語で話していたのかもしれない。そう思うと少しでも多くの人に日本語学校の存在を知ってもらい、日本人のコミュニティーを利用してもらい、私のように、Ò時遅しÓとならないようにしてもらいたい。日本語学校を存続させていく事は容易なことではないと思う。多くの人達の努力のお陰で、日本語学校が成り立っている。教師の方々の努力、役員の方々の陰なる力、そして、保護者一人一人の家庭での努力が、教師という役割をしていくうちに見えてきた。この3つが揃ってこそ、子供達が日本語学校に楽しく通い続ける事ができるのだ。皆それぞれ違う立場に立っているが、すべてが子供達の為と言う事は同じはず。これからもどうか、子供達の為に力を合わせて、素晴らしい日本語学校を存続させてもらいたい。                                                      

 

 

 

 

 

 

習字教室
                                                                                                                                           

子育ていろいろ

 

滝田 ひろみ

 

今から随分と昔のことだが。。。

私が子供の頃、親とケンカするたびにこう思ったものだった。

「私が親になったら絶対に自分の子供にこんなことは言ったりしない!」

「やったりしない!」

月日は流れ、私も親になった。なんという事か同じ事を繰り返さないはずだったのに気付くと「言ってました」「やってました」事ばかり。

さて、娘の圭央がある年のクリスマスにサンタクロースにお願い事をした。

「クリスマスには妹か犬をください」

その翌年の8月末に、圭央の念願かなって我が家には妹のÔ彩乃Õが誕生。上の娘のときにした反省を生かして頑張るぞ!と気合いを入れたはずだったのに下の娘は上の娘とは性格の違う子供であった。何としたことか、同じ人間が産まれるわけがあるまい。同じどころか、一枚も二枚もウワテである。毎年幸運なことに日本に帰省させて頂いている私達だが、はじめて3人で帰ったときなどは、「おとなしくていい赤ちゃんだね」なんていわれた次女の彩乃。圭央もかなり「お姉さん」を楽しんだ。2年目に帰った時には実の妹に「なんだか彩乃ちゃん、中身が何かと入れかわった?」と笑われ、3年目に帰ったときには既に「彩乃ザウルス」と周りから呼ばれるようになっていた。そして月日はとうとうと流れ、姉の圭央はつぶやいた。「こんなはずじゃなかったのに。。。」私もこんなことを言うのも何だが、圭央一人の時には「圭央のママはあんまりおこった事ないようね」と、実際は違っていても外目にはそんな風に見えるようだった。今ではふと鏡に写った顔が恐ろしく、それが自分だと分かった時のショックは大変なものだ。まあ年をとったのもあるが、「余裕がない」というのは私のことだろう。

子育てというのは実に難しい仕事であると感じている。情けないが上の娘が少し年が上だというのをいい事に、そして下の娘がかなり強いことを言い訳に大分楽チンな方向へと逃げの育児をしてきたのかもしれない。それでも子供たちはたくましく育っている。子育てしてきたのではなく、子供に支えられ親として人間として育てられているように感じる今日この頃。取って付けたように言うのも何だが、兄弟姉妹というのは実にバランスが取れているものだ。圭央と彩乃も例外ではない。我が家の娘達は私や夫が仕事なので週末は2人で過ごしている。暴れん坊将軍の彩乃は世話焼き家政婦のようにパンケーキを作っては姉に食べさせ「またかよ」と親父ギャル(?)の圭央。宿題をケンカしながらやってみたりなんだかんだ言ってただのアホな姉妹だが仲良く助け合って過ごしているようだ。育児とは思うようにはいかぬもの。子供も自分の都合のいいようには動いてはくれないもの。人生も山あり谷あり。そんな私は最近こう思うわけだ。

悩むの上等、ケンカ上等、これからも悩んでケンカして笑って泣いて楽しく一緒に成長していきましょう。


Decisions

 

Sarah Hanrahan

 

As parents, we all face the challenge of making decisions about what we think is best for our children. Sometimes the decisions are easy and have little impact on our lives, while others are extremely difficult and life altering.

When my husband and I found out I was pregnant with our first child, we had been living in Japan for two years with plans on moving home soon. We always knew we would have children but had not planned on having any while we were living in a foreign country. At that point in time, we had to make a decision about where we were going to raise our children. Do we give up our well paying jobs and comfortable life style, move back to Canada and have to start all over? Or do we raise our children in a country where we are viewed as foreigners and were treated differently because of our nationality? Both choices had their advantages and their disadvantages. Looking back, I think that it was one of the most difficult decisions that we have made to date. Moving back to Canada would mean that we would have the family support that a lot of new parents need. However, we would not be able to maintain the standard of life that we had become accustomed to, allowing us to provide our children with many things that we did not have when we were children. Remaining in Japan would mean that we would be raising our children in a country where I faced a huge language barrier and we were visibly different from the majority of the population. Even though we did not have family in Japan, we had made some wonderful friends that had become like family, providing us with a great support network.

After a lot of soul searching and many sleepless nights, we decided to remain in Japan, at least until our child was a year old. When we found out that we were pregnant with our second son shortly after our eldest sonÕs (Keegan) first birthday, we revised our decision, and decided to stay in Japan until Keegan was old enough to go to elementary school. We thought that since we were going to raise our children in Japan that they should learn the culture and the language. We entered Keegan into hoikuen (Japanese Pre-school) as soon as we could. I must admit I was very nervous, as I had heard many horror stories from other foreigners about how their children were discriminated against and teased in school. But upon our first meeting with the staff at Hoshigaoka Hoikuen, my worries and fears disappeared. The staff at the hoikuen was terrific. From the very beginning, both of our sons were treated the same as the other children there, regardless of the fact that they were the only blonde, blue-eyed children enrolled. Our boys were immediately embraced by the other children and made friends quickly. Their Japanese teachers taught them that even though they looked different and have a different nationality that they deserved to be treated the same as the other children at school. Our boys never felt left out or mistreated because they were visible foreigners. The love and affection of the staff and their classmates dissolved any cultural or visual differences that may have existed. There were a few people that took a while to warm up to the idea of a foreign couple at the school but the majority of the parents embraced us as well. By the time Keegan graduated from the school, as a family, we had made some wonderful friends that we continue to keep in contact with.

The experience of raising our children in a foreign country was such a positive one. When I hear the horror stories about how foreign children are mocked and outcast at school, I make sure that I tell about our positive experience. I want people to hear the good side of raising children in a foreign country and not just the negative side. Our children have benefited in more ways that I can explain by being exposed to another way of life. Those benefits will help them become stronger and more understanding people. Also, my husband and I have become stronger and more understanding from the experience. Being a visible minority in a foreign country has challenged us as parents. But the benefits it has brought our children outweigh any hurdles that we as parents had to overcome.

After we moved back to Canada, many of my friends and family here have asked me if we regret raising our children in a foreign country. Not one day has passed that we have regretted choosing to raise our children in Japan. While it was difficult and trying for us as parents, both of our sons are the amazing children that they are because of their experience of living in Japan. The education our children received was far more than book learning. They have learnt tolerance and acceptance through life experience. It was an education that I wish more children would have the chance to experience. We have chosen to continue that education by enrolling our sons into The Metro Edmonton Japanese Community School. It is our hope that by being involved in the community our boys will be able to further broaden their life experience.

 


 

 

 

エドモントン地区日本人コミュニティ・スクールのビジョン

 

 

   子 供 達 へ

 

 

 あなた達は、かぎりない可能性と才能を持っている。この才能を引き出し、発展させていく一つの機会が、ここに与えられた。

 

 子供達よ!この学校で一生懸命日本語を学べ。又、英語圏に住んでいる利点を活用して、英語と日本語の完全なる使い手に育ってくれ。

 

 そして将来、カナダと日本両文化の理解と人々の融和の上に、さらには、国際平和・人類の為に役立つ人になってもらいたい。

 

 これが、この学校を作った親達のせつない祈りである。

 

 

一九七八年 エドモントン地区日本人コミュニティ・スクール運営委員会


 

 

 

 

 

 

              

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★ 発 行 ★

エドモントン地区日本人コミュニティスクール後援会

会長 守田 幸男

2010年月発行

 

 連絡先 

Sachio Morita

9443 Ottewell Road

Edmonton, Alberta

Canada T6B 2E1

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編集/校正    山本奈穂子、山本千恵子

写真提供  ジャクソン好子、金 紀子、山本千恵子